近頃のインターネット?

森博嗣氏が面白いことを書いている。15個の箇条書きになっているんだけど、全部引用するのもなんなので僕が面白いと思ったのだけ

1)ブログが増えたおかげで、みんな書くことに一所懸命だ。他人のページを読む人間が激減しているだろう。
2)検索エンジンの効率は、無駄なサイトの出現でますます低くなっている。薄まったという印象。
3)いい加減な情報が増えた。間違った情報がどんどん増殖する培養液のようだ。
4)誰も元の情報を確かめない。自分の周囲のページに書かれていれば信じる人が多い。
12)単に他のサイトの引用をするだけのサイトが増加している。これが検索エンジンの精度を落とす原因。
14)検索して調べろよ、と言いたくなることが多いが、初心者が調べても、これでは情報が多すぎてわからない。
15)そうはいっても、平均すれば便利になったし、生活に欠かせないものにはなった。大きな文句はない。

http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/06/post_1214.php

僕の印象では、初期(といっても1995年頃)に使っていた人は、やっぱり書くことに一生懸命だったと思う。そこにいたる敷居はそれなりに高かったけれども。その後、2000年頃は読むために利用する人が中心だったように思える。SNSやBlogの広まりとともに2004〜5年頃からまた書くことが始まったように思える。もちろん、初期と今の書かれる内容は大きく異ならない。けれども、他人にとって全く無意味な個人的なことあるいは個人的な繋がりの中でしか意味を持たないことが書かれる「比率は高まった」と思う。なんていうのは、ほとんど僕の個人的体験だ。僕が発信する側に帰ってきたのは何故なのか、未だにそのきっかけの正体は掴めないけれど、環境と言うのはとても大きい。
ノイズも増えたけれど、それをフィルタリングする仕組みも進化していると思うし、情報の種類によっては精度が上がっているものもある。もともとノイズの山に埋もれてしまうような情報は、初めからウェブ上に結構あったように思えるし、それを検索するテクニックが必要だった。今は、関連サイトを検索し、そこから辿るというような、少し捻れば行き着くかもしれないという期待による手法よりも、検索サイトで一発で辿り付く事が重視されているような気がする。それはきっとページランクのような関連性の判断を自動化するような仕組みのおかげだろうし、大雑把には有用なんだろうけれども、人間の思考に曖昧さに基づく「勘」を使ったような検索能力はまだない。いや、あるんだけれども、一部の勘が鋭い人の到達能力には及ばないと思う。
なんだかんだいって有用であることは昔からそれほど変わらないと思う。ただ「情報の源泉」が「情報の大海」へと変化していくときに、なんだか塩辛くなっちゃったのかな、という印象はある。