痛みは誰のものか、あるいは共有することについて

妄想力たくましい僕はいつも最良のケースと最悪のケースを妄想して身悶える。ちょっと確認すればすむのに妄想の世界から抜け出せない。
認識を共有するためには声に出さなければならない。出したらたちまち妄想の世界は崩れ、現実に直面する。提示された現実を拒否する術はまず、ない。現実にいることを否定することくらいしか。
感情を共有しようと試みるとき、相手の主観的世界が自分の主観的世界と一致していることを想像する。無論妄想に過ぎない。それでも共有したい感情。世界をどう変えればよいのだろうか。風景を思い描く。どうやれば同じ世界を見ることができるのか。
感情を普遍的な言葉で表現できるのはプロのわざであり。所詮僕の言葉は同じ風景を見ることができる人にしか届かない。その事を恐れてはいないけれど、そのことにあまりに無頓着な人と対峙しなければならないことは恐ろしい。
斯くして今日も心のある部分は妄想の世界に遊ばせて、決して出ていかない。