1+1=3?

1+1が2なのは主観としてそう定義した人の問題であり、1+1が3だと思う人もいるんだから、と言われている気がしてこなくもない今日この頃ですが。
リンクによる不可逆とは何か - novtan別館に対しての応答に対して。

駅で自分がわざとその人をホームから突き落とさなくても、他の人がわざとその人を突き落とすことがないと言い得ないならば、同じことであるということでしょうか。たしかに落とされた人にとっては同じことかもしれませんけど、突き落とす側の人にとっては、自分が突き落としたか他の人が突き落としたかで意味が違う人もいくらでもいるような気がするのですが。

リンク・被リンク論(暫定第2版) - くっぱのブログ

またわざわざ物騒な例ですね。この喩えが決定的におかしい点が一つあります。無断でないリンクすなわち許可を得たリンクもこの場合突き落とすと言う行為になぞらえなければならないということです。リンクが不可逆な行為であるとしたら、それは本人の許可の下平和裏に行われたとしてもその不可逆性を消滅させられるわけではありません。だから、先に述べたように、全てのリンク行為を拒否すると言う限定された前提の中でしか成立し得ないのですよ、この不可逆性は。

(a)、(b)、(c)とわざわざ選択肢の個数が判りやすいように書いたつもりだったのですけど、もしかして2つしか選択肢がないように読み取られたのでしょうか。とても謎深い解釈のように思われます。

リンク・被リンク論(暫定第2版) - くっぱのブログ

話が逸れていますね。わざとですか?(b)は「無理やり納得する」と言う選択肢であり、僕が提示したのはそのことを踏まえた*1うえで「納得しないままでいる」という選択肢が無いよ、と言う指摘のみであり、謎解釈だと思われる余地も無いと思うのですが。納得しないでもやもやしていると言う選択肢は現実にはありえるし、それが選択できるのであれば、どちらかしか選べないと言う状況からも脱却が可能です。なので、なぜ納得しないという選択肢がないかと言うことが趣意です。

*1:どちらかしかない、と言う背景にはその二つの選択肢をとらない場合、納得するしかないけれども、納得すると言う選択肢をどうしても選びたくないことがあるのは通常の論理的な文章読解能力があれば容易に読み取れると思います。