それでも今のウェブが好きだ

度を越えれば社会的制裁を課される。これは、ウェブと言う世界の中でも純然たる事実である。一方で、罵倒コミュ的な、客観的に見るとおかしいけれども当人たちはいたってまじめにふざけているようなものもあって、それもどこかでボタンを掛け違うと過去に遡った罵倒合戦に転化したりして。そういう過去現在未来がシームレスになったような、過剰なインタラクティブ性と言うのがウェブの最大の特徴であると言う事もできると思うので、みんなが急に規範的なものを重視しだしてしずしずとした態度を取り始めたらどうすればよいのか分からなくなっちゃうと思う、きっと。
レーティング的なものは今までなんども試みられているけれども、そして一部のコミュニティーとしては機能していると思うけれども、それがウェブにある時点でそのコミュニティーからかけ離れた考え方を持っている人が流入してくるのは避けられないし、結局のところ、フィルタリングの一種でしかないんだから、限定的な有用性しかない。そこで、ちょっと逆の発想をしてみる。見る側が自分自身をレーティングするとか。児童向けフィルタリングソフトのようなものか。ただ、そういうのは直接的な表現には強いけれど高度に発達した罵倒合戦で社交辞令と見分けが付かないようなものには弱い。
となると、やっぱり人力でフィルターかけるしかないよなあ。究極的にはスルー力に頼らざるを得ない。スルー力にも双方向性があるだろうし、単純な解決策としては個人の負荷が高すぎる気もする。
結局原点に立ち戻って、度を越えれば社会的制裁を課される。これが規範として機能する唯一の部分かも知れない。この際匿名がどうとかはあまり関係ないだろう。そこでトレースできないような問題は所詮度を越えていないわけで。と言っても、判定に持ち込むためのハードルの高さは違うかも知れない。ただ、それはそれで匿名の根拠のない発言をスルーできない人問題でもある。
覚悟だけの問題であるともいえる。そのことはずっと考えてきたし、今も変わってない。ウェブの何でもありは、暗黙の条件が最初から付いていたはずだし、それは今も有効であるし、それ以外はウェブとしてのルールや規範ではなく、個対個の問題なのではないかな。