これからの規範として

いくつかのやりとりを通して、ウェブがどうしても変容していかなければならないのではないかと言う認識を得るに到ったのです。原則だけではやっていけないところがあって、いや、むしろ原則なんだけれども、ウェブとはパブリッシュであって、そのことを、全てのウェブ利用者は意識しなければならない、と言う程度のことではありますが。
そこから先は個別事例であって、個人の価値観や、社会的な同意によって縛られるべきものであるわけですが、ここで、限定されたあるコミュニティーの規範がどこまでその他のものに適用できるかと言う問題が生じ、基準などあってないようなものになってしまっていると言うのが現状なわけです。
結局、単に個人の責任に帰するところになってしまうだけの話になってしまうことは、それでも現実になぞらえると仕方のないことなのかも知れません。システム的なフィルタリングは個々人の設定としてなされるべきであって、原則としては自由なわけですから。
幸せだけど、ぶつかることから生み出される建設的な何かがない世界を作ることは非常に簡単で、それこそ有害サイトフィルターの設定を自分の琴線に触れないような設定にしとけばよいわけです。つまり、まあ当たり前の話かもしれないけれど、これからのウェブはフィルタリングされているものとされていないものでものすごい差が出るようなものになるのではないかと。S/N比的な問題もあるので、このような駄文がウェブの中で支配的になることはいい面と悪い面の両方があって、その悪い面を消していくための手段として。それを利用するかしないかが根源的な個人の問題になるわけです。
究極的には「見るな」の問題になるし、ウェブだから、目に入るから腹を立てて文句をいう、って言うのは本屋に行って自分の不愉快な本の表紙が目に入ったからどのくらい不愉快かを確かめるために、中身まで立ち読みして逆ギレする、ということと同じような行為であるべきです。そのくらいのフィルタリングは自分でしなければならないのではないかと。そして、その手段がきちんと提供されれば問題ない、で済むことも沢山あるはずです。
まあ、大変いい加減な話ではありますが、やっぱり双方向に自由があるわけで、それを享受しつつも、自分に適した姿にカスタマイズできるウェブが本来あるべき姿なのでしょう。社会システムとしてはね。