エゴサーチと信者の吹き上がりについて

エゴサーチに善も悪もあるわけがないのですが、エゴサーチをした結果引き起こされる事件についてはちょっとこれはね、というのはあるようです。

特にアレなのが、有名人についてこっそり言及→エゴサーチしてRT→信者が言及者に特攻、というやつ。で、これエゴサーチが問題なの?それとも晒し上げ!が問題?

自分にとって不愉快なものを攻撃するというのは別におかしなことではないですよね。ですけど、その人が有名人である程度の地位を持っていたら当然ながらその影響力に応じたやり方を選択しなければならないということはあるでしょう。例えば、芸能人が「どこそこで飯喰ったら不味かった」というのを公共の電波に載せて喋っちゃったらマズイ場合もありますよね。具体名を出すとしたらなおさら。
Twitterのつぶやきなんてのは例えRTじゃないくて「こんなこと言われたんだけど」というだけでわかっちゃうわけで、有名人というのは愚痴をいうのも大変だぜ!って話で有りますな。

というのは、あくまで社会を円滑にすすめるためのある程度暗黙のルール的な話で合って、本来的な原則論でもなければ、本当に守らなければならない話でもないのですけどね。というのは、そもそも大衆の面前で、実質的に面と向かって文句をいう、という事自体が社会の中ではめったにあることではないですから。立場としては有名人もそれに言及する人も対等である、というのがウェブの本質的な構造です。つまり、公衆の面前に何かを撒き散らす、という意味で。
もちろん、その対称性というのは現実的な力関係(ここではフォロワーの数)によって必ずしも成立していないように見えます。でも、やっていることは一緒だから、起こることは一緒なんですよ。無名ということを理由にリスクが軽減されたり、問題行動が減免されたりはしないということね。

結果として信者(やその他の人)に特攻されたとして、その信者の行動が問題だ、ということとは別に、原因を引き起こすに十分な理由があるわけ。だから、エゴサーチによって発言が捕まったことについては文句をいうのは筋違い。問題行動があればそのことそのものについては文句をいうべきだとは思いますけどね。

とはいえ、自分が力を持っていることを自覚している人はその影響力を考えた発言ややり方をするというのがよくできた大人というものではあります。うん、twitterなんて見てるとそんな社会人が幻想の存在じゃないかと思ってしまうことは否定できませんが。まあ大概DQNの取り巻きはDQNなのが相場なので、突撃を受ける覚悟がなければtwitterなんかではDQNに触らないというのが正解だと思いますよ。