まずいは主観

主観的な事実を広く伝えることは公共の利益ではないので否定的な記載をすることは、名誉毀損にあたる、というのは妥当性があるかと言うと、難しい。事実とは何か。
よく表現の自由を侵害しているっていう風に捉える人もいるけど、こういうのはちょっと違うかなあとも思う。それで侵害されたのは悪口を書く権利か。悪口は確かに主観かも知れないけど、実在の何かに対しての悪口を封じられたのと、悪口自体を禁止されたのでは全然違うし、訴えられないのが予見できる相手には自由で。後でどうというのは知らない。
お店だったら、生活には関わってくるとなれば必死でしょう。さて、その悪口を書く権利は何のために必要?ストレス発散?。
くさすことで何かが変わるかもしれない、という理由はこちら側の一方的な考えであることを意識するとあまり広く適用するのは危険な考えだよね。
ただね、確かにまずかったり接客が腹立たしかった気持ちを誰かに伝えたかったり、順位的な評価をしたいのは、わかる。ポジティブな事だけ書いているのが一番なんだろうけど、人間良かったことは自分の中に閉じこめてもストレスにならないけど、悪かったことは吐き出さないと苦しいよね。
例えば、ここのラーメンはイマイチ、と言ったような情報はしかし消費者としては非常に重要ですよね。口コミも世界規模の今の時代、結構な情報は集まるし、そのせいで行かない、となればお店の命運もそれ次第だったり。
でもまずいは主観だから他のエビデンスから真実性を感じたとしても(例えば他の店の評価が自分と一致しているとか)、それが真実である保証はどこにもない。逆に言うと、まずいとどんなに主張しても、味覚に違いがある人にとっては嘘を吐いているようにしか思えないかも知れないわけだ。ましてやどこの評論家でもなんでもない素人に言われても。
本当に絶対的な評価の言葉は必要なの?自分にとってはまずいと言うのをやんわりと表現する日本語もあるわけだし、そういう表現はともすればかえって嫌みになりがちだけど、人の評価を(ましてやネット上の評価を)過剰に気にしなければならないような相手にはちょうどいいかも。
こういうのも、別に訴えられるのを覚悟でやる分には何も制限されない(とはいえ、削除させられるかもしれない)し、何かにたいして強い評価をする行為があまりにもカジュアルになってしまうことにはちょっと違和感がある。ブログだから、個人だからいいじゃん的な発想は単なるわがままにも思えるのです。
その辺も、違う意味で公共的観念のありなしの問題かも。常に覚悟が必要なのもしんどいしね。感想は感想らしく、批判は相手を選んで、っていうと何かイヤな人だな(笑)。でも、個人が趣味の範囲でする事ってその程度のものだと思う。そこから先、人生かけてやるかどうか、ここの壁を越えたものと越えてないものの差はとても大きなもの。僕?もちろん、越えてなんかいませんよ。