2ちゃんねると嫌儲

いくつかの心理が組み合わさった話なんじゃないかと思うので、何が正しいかは簡単には言えないと思うけど見解として。

嫌儲の話に戻すと、おそらく嫌儲の多くはこのWeb性善説を維持するために、意識的にしろ無意識的にしろ金の流れを作らないようにしている部分はある。ただ、このWeb性善説が機能するような状況にも関わらず、金の流れに神経過敏になり過ぎた層が存在していて、時々問題になっているのでは無いか、という話。

嫌儲とWeb性善説 - スナザメ日記

そういう側面もありそうだけど、僕としては「匿名になりきれていない」というか、「俺は匿名で著作権を(実態として)放棄しているのにお前なんでそれで儲けとんじゃゴルァ」という心理があるんじゃないかと思ったり。
例えば、ブログまるっきり転載サイトとかだと「何勝手に転載しとんじゃワレ、著作権法舐めとんのかいゴルァ」という気分になりますが、しかもアフィ満載だとしたら怒り倍増。2ちゃんねるまとめの場合、「アフィなしでもヤダ>アフィダメ絶対(嫌儲)>なんでもいいよ」という階層がいると思いますが、儲けという要素を抜きにしていうと全部ダメって言うのもカッコワルイし、参加した自分の労力はなんなのとか変な風に取り上げられるのはヤダとか、著作者精神が残っていることを、殊更に言うのもなんだか、というところでの折り合いの付け方として、「アフィ無しならいいよ」という妥協点があるのではないかと。
だから、嫌儲というのは匿名・共有原理主義的な神経過敏さの対極にある権利意識のなせるものではないかと思うのです。コントロールを放棄していないという言明でもあるわけですし。
でも、嫌儲自体は別に悪くもなんともないですよね。コントロール不能であることを意識していないことよりもむしろ良いかも知れない。その後の行動が常軌を逸していなければ特に問題ない。ただ、実際問題として、アフィブログに転載されてしまうこと自体は防ぎようが無い匿名のジレンマがあり、それを止める為には制裁的な行為しか有効な手段が無い、ということがあって、行動に出てしまうというのはわからなくはありません。やりすぎなければ、というかウェブ論陣の範囲内で攻撃するのであればよいのですけれども。