多分、閾値は上がっていく

全てはウェブが社会インフラとして便利になっちゃったことに起因していると思うけれども、ここから先、何もなかったとしても、潮流としては規制の方向に向かうと思っている。それは、誹謗中傷好き放題は許されないってことだし、ウイルスを自由にばら撒くことも、違法なファイルをアップロードすることも、もしかしたら、必要以上にネットワークリソースを使うことも、規制されるかもしれない。
初心者がどうってことが最近話題になって、僕もちょっと書いたけれども、そして、自由にすればいい、という意見は持て囃されたけど、それでも、不自由な方向に向かうんじゃないか、そう思ったりする。
何かに対する重要度が、一部の人たちだけのものであるとき、それは全体の問題にならないけれども、もうインターネットというものは世界を左右しつつある。もちろん、初学者締め出しってことにはならなくて、なんらかのレイヤー分けがされることになるんだろうけれども、世界を変える力はその資格を持ったものにしか与えられないかも知れない。言い換えれば、偶然による成功はそろそろ打ち止めになるんじゃないだろうか。いや、依然としてそういう偶然はあるのだろうけれども、何も無いところからひねり出せる偶然は減っていくのだろう。それが、重要なインフラとしての存在を得てしまった代償。
力が欲しいのか、それとも自由が欲しいのか。自由のための力はかえって自由を束縛する。力がないことが自由かもしれない。しかし、戦うには力が必要だ。もし、戦いを求めているのであれば、少しずつ、自由を捨てなければならないのかも知れない。