ウェブであることの意味

日記帳やmixiに書かない理由とも。
プライベートな空間は常に現実との接点を求めていると思う。ただ、プライベートがプライベートたる所以はコントロールが可能なところであり、逆にいうと、現実と触れるとどうしてもコントロール不能なところが出てきてしまう。そこは折り合う対象だ。
匿名での活動の一つの軸はその現実との接点を、プライベートのコントロールをさほど犠牲にせず獲得、維持することにあるとすれば、既存の手段に比べてその容易性と制御性に優れるウェブ上での匿名活動が盛んになるのは当然だ。精神的な異質物排除の傾向が強く、ロジックを用いることが一種の人格判断(例えば思いやりがないと言われてみたり)されがちな日本では尚更。そういった従来の延長線上のゆるい接点がある一方で、現実のサブセットのような部分もあるわけだ。この接点は強く、浸食してくる。これがあるからこそのウェブ。つまり、今までは交わりようのなかった様々なものが、色々な手段を通じてくっつく可能性があるのがウェブなんだ。
当然そのことは、多方面からの批判にも繋がる。ウェブを単なる低コスト遠隔地連絡ツールと見做して使用することはそういった意味では誤った使い方だ(もちろん、メールや適切な制御を施したサイトならいいのだが)。
ウェブで、ということは既に空気感のある雰囲気だけれども、ウェブという言葉が多くの接点同士が連結し張り巡らされた網であるというところから来ていることくらいは意識居続けていたい。ウェブにプライベートな空間は存在し得ず、現実との接点をコントロールしなければウェブは現実を浸食し始めるのだ。