ネット規制と未成年

あれだけ世の中のネットリテラシーをけなしておきながらいざ規制となるとリテラシーがあることを前提に規制に反対するのはなんだかなと思う今日この頃です。あ、誰かがそう言った、というわけではなく反対派の総論的な受け取りかたをするとそう見えるだけだけど。一人一人は極論だけど一貫性はある印象なんだけど、この辺の目的意識の食い違いが気になる。そういう点では著作権法の時のMiAUのアプローチは論点と目的をそろえた点で意義のあるやり方だったと思う。
社会が社会である以上、ある種の確率統計論的施策が出てくるのは自然なこと。なんらかの規制は必要だろうし、その場合に親のリテラシーに期待できるなら、子供が本当に必要なものは任意に解除できればよいというアプローチのほうが現実的な気がする。
親に期待できなかったり、デリケートな問題に対応する、という話は規制派にとっては二義的な問題だろうし、「ある程度は仕方がない」で終わってしまうから、話の中心として攻めるのは無理があるかも。
未成年がなんらかの形で保護されなくてはならないという社会的なコンセンサスは(一部のDQNを除けば)あると思っている。問題は「誰が」「何から」保護しなければならないか、ということに対する答えは一つではないという事。それをあえて一つにすると「社会が」になるんだろう。それがいやなら、複数ある答えの全てが保護できる手段を奪ってはならないけど、公園で遊ぶ子供に話しかけたら通報される世の中じゃ。
解決していくことは難しい問題だけど、少なくとも未成年フィルターに対する反論は別のことをあきらめないとならない域の議論でしかないと思うのです。