「かわいそう」じゃなくて「犠牲は私の見えないところだけで」

もちろん、ブロガー諸氏におかれては、ちゃんと問題を捉えて前向きに「かわいそう」を導いていくことを考えられている方がほとんどだと思うのですが、世の中一般的にどうかというと、どうなんでしょう。モンスターペアレンツとかも救急医療とかもそうだけど。

お役人の事なかれ主義も問題だが、ニッポンでは何が何でも「被害者」が絶対的に可哀想という「100%安全信仰」みたいなものが強すぎ。これに迎合してマスコミは○○による「被害者」を大々的に取りあげる。そのおかげで救われたケースは全く無視。これでは誰も責任追及をおそれリスクのあることはやらなくなってしまう。

http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C882254707/E20080525122237/index.html

僕はそういう話ですらないと思う。自分の周りの「かわいそう」は助けるべき、という、多少範囲を自己から拡大した利己主義がその根本にあるような気がしてなりません。悪い言い方をすると、自分の生活が何の犠牲によって成り立っているかから目を瞑る行為ともいえます。そりゃあ考えたくはないよね。「かわいそう」で収めておけば、そのことを自覚しなくて済むのですから。