士はおのれを知るもののために死す

古代、人が簡単に死ぬ時代、承認欲求に懸ける命の重さは軽かったのかな。富貴は価値観として重く見られず、他に比すべきものが無かったからかも。命が軽かったのではなく、他に代価がなかったのかな。だから、知るという承認自体が重いことなんだな。
現代の承認欲求は地位も名誉も財産もと欲張りだから困る。承認のために差し出す代価は何?命?そんなの値段に換算しないからいいのであって、換算しちゃったら一山いくらだよ。この平等な社会では。