人それぞれ

マイノリティーを大事にしようという人は、逆説的かもしれないけど「人それぞれ」ということへの許容度が低いんじゃないか、とたまに思う。
メジャーな考え方が、たまたま「人それぞれ」の大きな集合体であるだけかも知れないんだけど、「そういう考えは良くない」ってのはどうなんだろう。もちろん、それは教育などの結果であるかもしれない。マジョリティ側にいるほうが何かとよいという打算の結果かも知れない。けど、その考え方を選択した、というわけで、それを信じている人に対してその考え方を否定しにかかるというのはちょっと違うよなって。
考えに対しては「いいんじゃない?俺はそうは思わないけど」という緩やかな受容もあれば「心の底から納得行かない限りわかったなんていうな!これから三日三晩掛けてお前を洗脳してやる」くらい過激な受容を求めている人もいるだろうけれども、世界を変えるには前者じゃいかんのだろうなあ。
そうか、寛容ではなく、絶対的受容を求めるからいけないのかな。そういう意味では前者は寛容だな。
まあ、社会生活をしていると、否応なしにある程度は自分の価値観を押し付けながら生きていかなければならないし、全部を「人それぞれ」として受容することは難しい。人に関わるってのはそういうことなんだろう。
ウェブで出会い、議論しているってのは誰と関わっていることになるんだろうかね。