「代償はあまりにも大きすぎた」とは誰に向けた言葉か。

無論、逮捕に到る手続きが不当であれば、それは権力の暴走であり、決して許されることではありませんが。

また、加藤医師を逮捕したことについても「法律と証拠に基づいて必要性を慎重に検討し、正当な手続きを経て逮捕した」と話すにとどめた。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080820/trl0808202001014-n1.htm

単に必要性の判断が間違っていただけなので、これについては責める必然性はありません。もちろん、どうして必要性の判断を誤ってしまったのかを今後の糧に出来ないのであれば、責任をとっていただくしかありません。少なくとも医師は、自らの過ちでもなことによる重大な結果を、次にフィードバックする前に逮捕され、責任を取らされそうになる、という憂き目を見たわけですので、それに比肩するだけの処分が応報的になされない理由は何か、と考えると、現場を萎縮させたり、処分よりも大事なことがある、として業務上の過ちは責任を取らなくて良い(警察検察)スタンダードを医療に適用してはいけない理由はないなあと思うわけです。もちろん皮肉です。過ちは適切に正されなくてはなりません。

「当方の主張が認められず残念。今後は判決内容を精査し、上級庁と協議の上、適切に対処したい」

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080820/trl0808202001014-n1.htm

いつも思うのですが、「主張が認められず残念」という言葉は、自らは正しい、ということを言っていますよね。裁判ではそうではない、ということを明示されている。それをどう受け止めるか。判決内容を精査することで、自らの過ちを受け止めるのか、あるいは、判決に無理がある、ということをさらに主張されるのか。利害ではなく、現実で判断されることを望みます。
しかし、こりゃ一体なんだ?

ある捜査幹部は「この事件で、医師の注意義務や説明責任を喚起できたことは無駄ではなかったと思う。しかしその代償はあまりにも大きすぎた。医師の責任を問うことの難しさを痛感した」と振り返った。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080820/trl0808202001014-n1.htm

「医師の責任を問う難しさ」?判決が出ているのにあたかも医師に責任があるかのような含みを持たせた発言が本当にあったのか?医師に対する謝罪をしていないため、代償、というのは裁判に負けたことを指していると理解しました。それはないだろうと思う。その代償が大きかったのは、逮捕された医師です。注意義務や説明責任の喚起のために逮捕拘留され、遺族に恨まれ新聞に糾弾される、そんな思いをさせたのは誰か。
この発言は、ある捜査幹部、ということから公式の発言でないことがわかります。本当にそんなことを捜査幹部が言ったわけではないことを願いますよ全く。
危惧していたような、マスコミによるお涙頂戴劇+医療問題ネガティブキャンペーンに発展しないで欲しいと切に願います。