本音を言ったら認めるかというとそういうわけでもないけど、とりあえず誤魔化すならもっと感動的に

多くの人の心を動かす力を持った作家であれば、50年だ70年だなんて言わなくても十分儲かるだろうし、儲かることを求めてなかったら、広く長く読みつがれる方が良いよね。本当に自分の作品が後世に残るに値する芸術作品なんであれば、むしろタダでもいいから捨てないで蔵書してくれって言えばいいのにね。

私が三田氏を嫌いでしょうがない理由としては、この方は文化を支える創作の受け手を馬鹿にしているというか、見下している感があるから。
金の問題ではないと言うが、この発言からは金の問題だといっているようにも思える。では、我々が金を施してやるよ、といえばそれは文化的といえるのか。金を支払われることが創作物の価値を決めるのであればそうだろう。だが、そんなことはない。
谷崎を持ち出しているが、さて存命中ですら作品を絶版にされた作家がいて、出版社はもう出す気がないといっている作品でも、それを何とかして手に入れたい、再度出版させたいという消費者の方々がいるのだが、さて、その作品の価値はいかほどなのだろう。そして日本人の文化をどうとられるというのだろう。

キモチの問題なんですけどしょうがないからオカネで解決してあげます - P2Pとかその辺のお話@はてな

商業的な枠組みで守られるのは一部のものに過ぎない。そのおこぼれで喰っている部分はあるとは思うけれど、一方で絶版になってしまったものも沢山ある。それこそ、最初は商業的に成功しても、長くは続かないようなもの。そういうのは読みたいという需要を満たせない。読みたいってのが文化的な要求だとすれば、商業的枠組みはそれに応えられるものじゃない。50年を70年に延ばすのは売れない本を更なる闇に葬り去るという行為だよね。
前にも書いたけど、権利者側の主張って、純粋に金の問題にしか思えない。譲歩が全然ないし。延ばすことによって得られるインセンティブ=金ってのははっきりしている。もちろん、そのインセンティブを享受できるのは一部の「商業的に成功している」作家だけだ。それ以外の人が得るのはメリットではなく、デメリット(例えばあんまりアレな改変二次創作が出回ること)が減るくらいのものであって。
でもまあ、現実的な話をしちゃうと、50年経っても読みつがれるような本は70年経っても読まれているだろうし、そうでない大半のものは埋もれてしまうんだろうな。
SF1000冊って言われてもそんなの手にはいんねーよ、なのか、新1000冊が誕生しているのかわからないけど、全部を読める可能性は未来に向けてどんどん薄くなる(か、あるいは脳に直接インプット的な画期的な方法が編み出されるか)ので、必然的に淘汰されるだろうし。
50年目から70年目の20年間でがっぽり稼ぐような書籍は稀だろうから、商業的には実際は大差ないかもしれない。じゃあ、作家にとって70年になるメリットって本当にあるのかいな。
ただ、近い将来出版物はオンデマンドが当たり前、になるかもしれない。そうなった場合、細々ながらも売れ続ける本ってのは増えていくのかもしれない。
うん、お金の話だな。権利者の主張なんだから、変に文化という言葉で糊塗しなくても、お金が欲しいんですって言えばよいんだと思うんだ。もちろん、作家なんだからそんなにストレートな物言いじゃなくて、僕らが感動の余り70年に賛同せざるを得ないような理性に訴え、かつ感動的な文章を書いて欲しい。70年残ることの素晴らしさを消費者に認めさせることが出来て初めて、70年という期間に根拠ができるってもんだよ。