「面白ければ許される」の閾値がウェブとそれ以外で違うんじゃないか

あえて「ウェブとそれ以外」と書きましたが、ウェブ以外のほかのコミュニティー、例えば学校とか、政治の世界wとか、もちろん日本とそれ以外でも成立する話ですね。
ただ、ウェブが特殊な点がいくつかあります。

ウェブは少なからず技術的なものと結びついている

これも時代によって変わっては来ています。かつては画像を多用したデザインは忌避されたものですが、回線インフラの整備と共に過去の話になったような。一方で、進化したようで進化していない(というか、しらみつぶし状態な)セキュリティー面の課題なんかはいつまで経っても重大な問題とされます。
その場でわかっている技術的問題を蔑ろにするのインフラを揺るがすことにもなりかねないという意識が根底にあって、そこが一つのルールになっていますね。

ウェブはコミュニティーを横断する

現実には家なら家、会社なら会社、学校なら学校というくくりがあって、幼少の頃は家と学校の違いに悩んだりもすることがあろうかと思いますが、大抵の人は、そのくくりごとに違う許させる範囲があることを認識しているはずです。ところが、ウェブはそういったわかりやすい物理的境界でコミュニティーが分断されていませんから、自然と違う閾値をもったコミュニティーのオーバーラップが発生します。揉め事が起きたときにそれが顕在化するとわやくちゃになりますね。
かつてよくあった、会社の署名付きメールで技術系メーリングリストに恥ずかしい質問を送ってくるような行為が非難されるというのも線引きが上手く出来ない(というか意識していない)ことによる問題でしょう。

他者の閾値を垣間見る

mixiで犯罪告白問題(それをテレビでやっちゃったアホもいましたが)なんかは自分の属するコミュニティー閾値を(正確に言うと境界が見えるわけではないので、ある行為が閾値以下かどうかしかわかりませんが)晒しているようなものです。こういう人はウェブという空間を公共的なものだと認識しているかどうか。

物理的障壁に守られていないウェブでモラルが揉め事のタネになりやすいのは当然なのかな。