使命感だけで出来る規模で構わないんなら問題ない

医者なんてかかれて当たり前、というのは極々最近のことでしかないというのに、社会には欠かせない大きな仕組みとなっていますよね。そういう仕組みというのは単に使命感がある人がやっていれば機能するものではないのですよ。「医は仁術」といって仁を求める人は、そういう人しか医者にしてはいけないという制度を提唱すべきです。そうすると、きっと医者の数は劇的に減る代わりに仁者である医者しか残りませんよね。もちろん、その医者には長蛇の列が出来、どんなに頑張っても一握りの患者しか受診できなくなるわけですが。どうやって決めるのかな、順番。
あるいは、仁徳だけは豊富に持っているヤブ医者が量産されるのか。もちろん、仁徳に対して訴訟で報いることなんてしませんよね?

計画配置論では、「税金で養成してるんだから言うことを聞け」と言いますが、医学部だけでなく法学部など、どこでも税金を使っています。「この職業に就け」というのは、職業選択や住居選択の自由を保障する憲法に違反しています。そんなところまでしないといけないというのは、医療政策のこれまでの失敗の積み重ねということですから、どこが失敗したかを見ていく必要があります。
現場の研修医の実態調査がまず必要なのです。霞が関で座っているだけの連中が、調査をしないで決めたりしてはいけません。読売新聞も意識調査などをした結果で提言しているものではありません。そういう意味では「失格」です。「読売規制案」が圧倒的多数から支持を得るならそうすればいいでしょう。そうなるとは思いませんが。

http://www.cabrain.net/news/article/newsId/18799.html

舛添も良くわかってるみたいね。わかってないのはマスコミばかり?
結局のところ、医療制度を維持したいけれど金は出したくない、という無茶は通用しないんだけど、なんでそういう無茶をさも正義かのように言い張る人がいるかということだな。