たった一つのなんとやら

アルファブロガーの悪い癖なのかもしれないけど、「たった一つのXX」みたいな説明って大抵的外れか、そこに到るまでの大量の前提条件が無視されているだけだったりするよね。あと、特定の誰かにとって、とか。物事がたった一つのなんとやらで説明できるようなものかというと結構疑問であるわけで。
純化したり抽象化を推し進めていくと、ああ、こんな単純な捉え方が出来るんだ、という風に思えることは良くあるけれども、単純化したり抽象化したりしたときに捨てられたディテールや視点が実は大事だったりして。
だから、たった一つのなんとやら、というのは特定の、ごく限られた条件の中において、であることを注意して読みたい。