優等生コンプレックスが勉強の意味を再定義する

どうもドロップアウトしたことにコンプレックスを抱いているアルファブロガーの人はコンプレックスを打ち破ることのできる成功者になったというのにまだコンプレックスから開放されないせいでトンチンカンなことを言い始める癖があるようです。
もはや成功してしまったことで他人と競争することも放棄しているからコンプレックスから解放されるすべがない。あ、時間ならあるんだから大学でも入ればいいのに。

日本で高学歴者が敬遠される理由は、彼ら高学歴者が勉強していないからだ。
それどころか勉強という言葉を、自分たちの都合のよいように取り違えているからだ。

404 Blog Not Found:それって勉強じゃないよ

すごいよね、これも。そもそも高学歴者が敬遠されるということ自体、必ずしも事実ではない。dankogaiが見てきた世界の狭さを物語るというか、自分の見てきた世界が世界そのものではないことを認識できないのは「勉強していない」人の特徴とも言える。言い過ぎか。つーか、高学歴者が敬遠されるなら学閥なんかないよwww見てこなくてもわかるだろそんなのwww。
確かに、高学歴が忌避されるような場所もある。でも良く見てみるとそれは高学歴が忌避されているんじゃない。「優等生」であることが敬遠されるもとであるんじゃない?融通の利かないKYな頭でっかちというレッテルを貼られたり(事実だったりもするが)。あるいは、高学歴であるプライドが邪魔をする仕事である場合。もちろん、それは一例だ。弾言などできるものではない。場所と状況によって常に異なるのだから。
高学歴が敬遠されている、という理由は他にもある。たとえば、その能力を社会で十分に生かすと平均以上の水準の給料が得られることがわかっていることによる妬み。中学生くらいで勉強ができるやつがいじめの対象になるのはうすうす今後の人生に差がつくことに気づき始めているという部分もあるだろう(こういう裏側があるためロスジェネの優等生たちの鬱屈はいじめと受験戦争に勝ちあがった帰結が正社員でなかった場合に最大となるだろうと思う)。これもまた単なる一面でしかないが。
少なくとも、高学歴である人の大半は、社会通念上の意味での「勉強」を行い、それが水準以上にでき、ドロップアウトしていないという人だという風に捉えられている。

勉強は、そうではない。自分たちと価値観が異なる人々に、自分たちの価値を認めさせるのが勉強である以上、そこには他者が必ず存在する。

404 Blog Not Found:それって勉強じゃないよ

だから試験があるんだよ。たいていの試験に試験範囲があるのはそういうことだ。ただし、価値観が異なる人々に、ではない。「価値観」などというものは勉強において物の役には立たない。それこそ研究の領分だろう。むしろ、相手の提示した価値観を満足させることが勉強の一つの大きな目的なのではないか。
試験のない勉強など勉強である必然性はない。そして、その結果を満足することができた結果が高学歴なんだ。博士課程以降も大して違わない。一律に示される試験範囲はなくなるかもしれないがそれは言い方を変えると査読者を満足させることが試験範囲になっただけだ。

学習や研究や研鑽を勉強と称するのは、自慰と性交を取り違えるようなものではないのか。

404 Blog Not Found:それって勉強じゃないよ

そのたとえもよくわからない。それは精神によって包含関係にもなりえるんじゃないのか?学習や研究という言葉の中には勉強を含まないかもしれないが、勉強するということの一環として学習や研究をする(そしてそれを結果に繋げる)ということがあるんじゃない?レイヤーが違う言葉なんだから取り違う以前に同居可能な言葉なのではないか。
もともとのエントリがそもそも「勉強」の定義を問題にしているわけじゃないのにそれを読もうとしないで言葉がおかしいせいだみたいな話にして自分は勉強ができる(何しろ「そう。negotiation。これこそが、本来の勉強。勉強というのは、商談のことなのだ。」といって「Dan the Negotiator」と署名している)と言って自己満足な結論に到達するというのはそれこそ自慰だろう。誰も納得してないし。
株安で資産も目減りしているだろうし、ドロップアウトしたコンプレックスを、成功した後も抱えて迷走しているくらいならMBAでもとって高学歴者としてあらためて世に君臨することを目指してみてはどうか。アルファブロガーの肩書きを使ったおざなりな書評で喰っていくよりもよっぽど「勉強」している人生になる。