水伝で人は死ぬかもしれない

ニセ科学で人が死ぬ、というアプローチはニセ科学批判の本流ではないとは思いますが、だからといって、「水伝は生死にかかわる害がないから、そういうアプローチでのニセ科学批判は間違っている」という意見を「それとこれとは別」と片付けるのもどうかと思いました。
もちろん、ニセ科学批判というのは何度もいうように、汎化して語るようなものではなく、個別事例に対する反証の集まりでしかないのですけれども。

水伝をファンタジーと捉えて肯定するのであれば、それが本質的に非科学的であることを十分にわかっている、と考えてもよいかと思います。剣と魔法の国の小説を読んで、俺も魔法が使えたらいいなあって思う人がいても問題ないよね。
でも、実際に水に優しい言葉をかけてきれいな結晶ができなかったら邪悪だって言われていじめられるかもしれない、そんな小学生の感受性にとっては危険かもしれない。これはすでに科学云々の範疇ではないけど、道徳を語る客観的な指標にいんちきな話を持ってくることそのものに違和感。まあ、これは水伝が真実でない以上、科学は関係ない。
で、あれですよ、波動水。水伝を科学と捉えちゃう人は、当然ながら、波動水を信じるポテンシャルを持っている。薬事法に慎重なのか、病気を治すとまでは書いてないけど。
あとは、わかるよね。