ソフトウェアは全て芸術品という時代でもない

僕もプログラマの1人として、ソフトウェアが工業製品である、といういいきりには抵抗したいところだ。一方で、あまりに製品として需要があり一般化してしまったものが芸術品(あるいは工芸品)のままでいられるかというと、コストの面からは不可能だろう。まあ、そういう意味では、ソフトウェアそのものはパッケージが工業製品であり、それをそのまま利用できる、あるいは利用するための手続きがもっと整備される、ということが工業製品化と比べられるべき部分なのかもしれない。

「アーティストでは仕事にならないと思うかもしれません。作者として作品に納得が行かないから納品しない、などという人がいては仕事になりませんよね。しかし、これは誤解です。世の中には“アートな仕事”をしている人がたくさんいます。例えばコピーライターは、納期の制限がある中でクリエイティブな仕事をしている。なぜソフトウェア業界にそれができないのでしょうか?」

「ソフトウェアは工業製品ではない」、Rubyのまつもと氏が講演 − @IT

こういう比較をされると、駄コピーなど世の中には存在しないような気がしてきますが、実際には真にクリエイティブなコピーのほうが少ないんじゃないでしょうか。地方のCMとかwある種のパクリやそのブラッシュアップで出来ている仕事が多いという点ではよく似ているのかもw
いやね、Matzのいうことは大変よくわかります。
個人的には、システムを作るということとコードを書くということはまったくイコールではないと思っています。コードを書くということにも二種類あって、何か新しいものを作り出すためのコードと、必要に迫られてベタベタ書くコードでは必要とするものも違います。前者のコードは才能がない人には書けないし、後者のコードは工業化されうまく行けば、工業用ロボットがやる作業と同様、自動化出来る部分が多くなるはずです。
僕はどちらかというと、工業化されるべき現場で工業化できない部分の仕事をやっていると思っているのですが、工業化されるべき、ということにはどうしても必要な手続きにまつわる部分もありまして。
でもねえ。どっちも同じ作業だろーみたいな扱いをされるともにょるわけです。
業界のオピニオンリーダーの方たちにはぜひとも、こういう大量生産的方法論を適用して工数で片付けていく部分と、美しいコードを書いて作り上げていく部分を明確に分けるような何かを見える化して頭の固い、従来手法にこだわった人たちの目を開かせて欲しいな、と思ったりします。