漢字を間違うことを指摘されると嫌な気分になるか

ばななをばばなと書いたら大うけだった件はとりあえずなかったことにしよう…

まず、自分は どうだろうと かんがえてほしいと おもいます。漢字が わからなくて、それを ばかにされて、いやな気分を あじわったことはないか。まちがっていないか、まちがわないか不安になったことはないか。だれかを ばかにしてしまったことは ないのか。
そうしたことが「ごく日常的なこと」なのであれば、漢字が苦手なひとの日常というものは、どのようなものであるのか。
そんなふうにして、おたがいが いきづらい社会を つくりあげてしまっているのではないのか。

漢字の よみまちがいで ひとを ばかにする反動保守を ゆるさない。 - hituziのブログじゃがー

僕はこの人嫌いじゃないんだけど、漢字を便利に使い倒しちゃっているから話には乗れない。今自分の周りを見回して、漢字で書いてあるものから漢字がかなり使われなくなってしまったら、可読性の問題から英語にしたほうがマシなんじゃないかと思ったりもします。
美しいひらがなをもっと使おうってのであれば特に問題はないし(紙媒体にとってはエコではない=コスト高=潰す気かになりそうな気がしなくもない)、よいんだけれども。

日本では漢字が読めないというのはマイノリティーではありますが、日常の生活に困るほど読めない人というのはめったに居ないですよね。これは素晴らしい教育の成果なんじゃないかとおもう。一方で、麻生太郎が読めなくて馬鹿にされるのは日常生活レベルではなくとも大学でてる程度なら当然知っているべきレベル。国を預かろうって人(しかも政治家の家系として出てきた人)が平均より下レベルの教養しかもって居ないのであれば、不安視されるのも仕方がないのでは、と思ってしまいます。
難しい漢字がわからないことと、日常的に使われる漢字が読めることは両立するし、後者の問題がなければさほど生きづらい社会にはなりません。同音異義語が多くてコミュニケーション不全が起こりやすい言葉ですから文字ベースのコミュニケーションが発達してきた昨今では尚更漢字の重要性は増しているのではないか、と思ったりもします。
日本語そのものが構造的に欠陥のある言語だ、というのであれば、それを解決する手段はひらがなの使用でもないでしょうしね。
自分の知識のなさによる嫌な気分なんて誰もが味わうことだ。気分を問題視してしまうのはどうかな、と思うな。