共有とパクリとリライト

引用とリンクは後で。

他人の書いたものを無断でリライトし、ノークレジットで自分のところに掲載するのは是か非かと言われるて非といわざるを得ない。この程度のことで著作権がどうとか言いたくないのであるが、この程度のことで揉めるので、だからこそ著作権法が出来たのだということでもある(大陸法ではなく自然法の立場としての)。

リライトする行為そのものは別にいいのでは、と作家でもライターでもない僕は思う。ウェブに公開するといっても広く遍くをターゲットにしているわけではないから何かを共有している人にしか伝わらない書き方になっているものはよくあるし。

でも、ウェブにタダで公開されているから自由に使っていいよね、と言われると抵抗はある。

リライトすることが従前の編集者の役割を果たしているとしたら、そこに抜け落ちているのは共同作業という概念で、それなしの無断使用は労力の一方的な搾取にすぎない。タダであるとか、価値があるとかないとかいうことが問題なのではないと思う。
もちろん、自由にお使いくださいという、思考のフリー素材集を公開している人もいるわけで、一概にどうこう言えるわけでもない。でもウェブに公開されているからフリーだ、とは言えない。むしろ、ウェブであることは双方向メディアであるわけだからそこを十分に生かした手法を取ればよいと思う。リライトの許可を求めるのは比較的容易であるはずだ。

コピペによって新たな価値が少ない労力で創出されうることは確かだとは思う。
オープンソースの世界が自らをフリーと規定するためにかえってライセンスとしては厳格である、と言うことが意味しているのがどういうことなのかを考えると、著作物の運用は如何にして規定されるべきかのヒントにはなるかもしれない。

フリーであるというのは、物の価値を「フリー」という新しい価値に規定することであり、タダであるとか自由であると言うことを単純に意味しているわけではないと思うのだよね。

平たく言ってしまえば、契約の問題でしかなくて、自由にお使いください、と、許諾を得てください、と、使ってはいけません、に対してそれぞれ適切な対処を行えば良いだけであり、高尚な思想的な建前なんていらないよ、という話なんだろうけどね。