誤った科学とニセ科学

NATROM先生が参戦しているからそのうちどういうことかになるような気がするけど。
ニセ科学いろいろ - Togetter
なんか科学の定義みたいな論争になってしまっていてわやくちゃ。
でも、やっぱり混同しているだけだと思うんだよな。「科学的な研究」と「検証に耐えられなかった理論」を。そして、やっぱり検証に耐えられなかった「科学的な研究」のことをニセ科学だと呼んでいる人はいないし、「検証に耐えられなかった理論」を科学的だと主張することに対してニセ科学と呼んでいるだけ。
だから、

ってな言葉の定義は多分成立しない、少なくとも、ここで例に挙げられている血液型性格診断や水からの伝言には当てはまらない。だって、これらは科学的に検証できなかったあるいは反証されている結果について、科学的に検証されたことを装っているから。単にエンターテイメントやファンタジーであれば、自らそう名乗るべきなんだけど。
結局のところ、科学に対するスタンスが科学的でないくせに科学と言い張るものがニセ科学と呼ばれる資格を有している。もちろん、アプローチ方法は時代に左右される。科学的事実として知られていることは科学の進歩とともに変わってきているから、結果として今から見たらニセ科学としかいいようがない、昔の研究はあるし、それをニセ科学と言う必要はない。けれども例えば、ルネサンスの時代には錬金術は科学でした。すなわちXXから金を作り出すことは夢ではないのです、ついては出資を云々、なんて言ったら即刻ニセ科学のレッテルを貼られることでしょう。
過去の科学者における、結果として間違った研究は、その科学者のアプローチが当時ですら時代錯誤で無い限り、さかのぼって非科学的だと責める必要はないし、ましてやニセ科学だという必要も無いけれども、その結果が科学的であるのは「間違っていることが証明された」事実として提示されるから。

繰り返し言うけど、ニセ科学ってのはまったく科学的ではないアプローチや、すでに否定された結果を持つ理論を科学と装って喧伝することが必要条件だと思ってる。あたかも統計データより証明されたかのようにいう血液型性格診断がニセ科学なのはそういう理由であり、反証した先人の研究には敬意を表したいものだ。
あえて、「誤った科学」にきちんとした価値を持たせるのであれば、「血液型性格診断の研究は科学」というのではなく、「血液型性格診断は間違っていると結論付けた研究は科学」といいたい。でもそれを突き詰めていってしまうと時代の制約によって結果として誤った科学とその研究者を全力で否定しているみたいになってしまうので、あんまり言わないんじゃ。科学的態度を共有している人の中では言うでもないことのように思えるし。
そんな暗黙の中で、否定された理屈を科学として持ち出すと叩かれるわな。