悪い「噂」と誹謗中傷

噂とは何か。「その内容が事実であるかどうかを問わず、世間で言い交わされている話の事」である。
世間とは何か。「日本ではこの用語は一般名化して、「この世」「世の中」「社会」のことを表す用語として使われている」
(どちらも出典はWikipedia

まことしやかに囁かれるアレとかアレ。本当のことなんて知る必要がない。下世話な好奇心が満たされることこそが娯楽である。のだが。

噂には、届く範囲があった。ゴシップ誌やワイドショーが流す噂。奥様が井戸端会議仕入れる噂。友達の友達の友達から聴いた話。「他人」の範囲は広く、反応が噂の当人まで伝わることはほぼないといってよかった。しかし、インターネットはそれを根本的に変えてしまったね。

噂が噂のままであるとき、それは娯楽の範疇の存在にすぎない。他人の悪い話で楽しんでも良いのは、それが害がないからであり、実害が発生した時点で違うカテゴリーに属する。

言論の自由」を、「自分だけが好きなことを匿名で言える自由」だと、勝手に解釈しないでください。
「自由」には、「責任」が伴うことを、自覚してください。

2012-01-21

とまあ、そういうことなんだけれども、みんなが述べているのは「言論」ではないんだよね。噂を事実と捉え、日頃の不満を転化し溜飲を下げる、ということを今までずっとやってきたわけだ。これは、噂だけじゃない。事実に対してもだ。例えば汚職、例えば芸能人の不倫やドロドロ。例えば昼ドラマ、そして、痛ましい事件事故。

狭い世間の中では、噂によってハブられる奥様とかいじめられる子供とか、ずっといたわけだ。そして、世間が急に広くなってきて、今までは単なるストレス解消の的だった噂の対象に直接リーチするための手段ができてしまった。始末の悪いことに、世界中の人がある対象についての情報を共有することまでできてしまうようになってしまった。

噂をきき、陰口をたたく。これは僕達がずっとやってきたこと。なんだけど、それが許されるのは陰口だったからに過ぎない。少なくとも、インターネットにおいて何かを公言する、というのは陰口ではいられない。期せずして、それは言論になっちゃっているんだ。
もっとも、言論には強度がある。それを強くするのは立場であり、数である。社会的に見て吹けば飛ぶような存在の言論など歯牙にもかけないでいられることはできる。ただし、リアルに脅迫めいたことを行い始めるのであれば話は違うけれども。

よく、火のないところに煙は立たないというけれども、火元を確認することは重要ではないのかな。そんなことはないよね。誰かの問題ある行いについて怒りを表明する、というのは間違ったことではない。だからといって、人格などを非難することはいきすぎだ。事実においてすらそうだ。であるならば、噂に基づいて誰かを非難する。これは正義といえるのか。もちろん言えないよね。

でも、哀しいかな、僕達は噂をきき、楽しみ、意見を表明してしまう。人間の社会性ってのはそういうものだし、急に変えることのできない何かだとは思う。また、相手の受け取り方によってはなんだって中傷になってしまう。
なんで急にこんな問題に直面しなければならないのか。従来の世間というのが局所型組織だったということが露になった今、世間話という存在もまた変容しなければならないのか。間違ったことは口に出してはいけないし、正しいことも人を傷つけるかもしれないし。口をつぐむのが正解なのか。

インターネットは無限の可能性を秘めたメディアとして登場したけれども、実際には裏表を、光と闇を、くっきりと浮かび上がらせるツールだった。噂は滅すべき悪として浮かび上がり始めている。

我々がインターネット上で、一般の大衆として世間に埋没し、口を開いても害をなすことがない存在になりうるのかどうか。具体的な行動に移さないでワイワイしているだけであれば、2chのような顕名ですらない真の(というと誤解をまねくかもしれないけど)匿名掲示板における名無しさんこそがそれだろうとは思うんだよね。「他愛もない、取るに足らない」存在であり続けられる場所にのみ、噂の居場所があるのではないかなあ。