喩え話は納得しようとしている相手の理解を助けるためにある

つまり、理解しようとしてくれない相手を納得させるためには使えない。
同種のものにレッテル貼りとその対象範囲の拡大があるかな。

比喩ってのはわかりにくい概念の部分を現実的なものや相手のよく知っているものに置き換えることで理解を助けるんだけど、その課程で実際に議論している問題の本質的な部分からは離れていく。でも、「主旨は理解できるがロジックがよくわからない」相手であれば、その本質的な部分はすでに合意済みであるから問題はない。
主旨そのものに納得がいっていない人、すなわち、論敵に対して比喩で説明するというのは、本質的ではなく、また、完璧ではないロジックの部分のみを提示することになるから、結果として理解を助けるどころかツッコミどころを増やして終わってしまうことが多い。

では、「本質的にはこれと一緒だから」というタイプの比喩はどうだろうか。これも、大抵の場合「この問題とこの問題を一緒にするなんてとんでもない!」という話で一蹴されてしまう可能性が高い。

オブジェクト指向を理解してもらうのが難しいのは、大抵の人にとって抽象的な概念の抽出はデザインではなくて単なる比喩だからだ。なぜそうであるかという価値観なしでは理解が難しい。

対立する議論においては比喩よりも根源的な部分のロジックを突き詰めて行って、逃げ場がない所で出る答えが個々人の価値観ではない部分であるようにしないと水掛け論を繰り返すばかりだろう。