「社畜」にならないために

ためにって言っても不可抗力はあるけどね。そもそも社畜って言葉自体嫌いなんだけど。
入社1、2年は「良き社畜」として騙され続けよ。で、最後に1回だけ裏切ればいい人気ブロガー 藤沢数希 | 対談:入社1年目の教科書 | ダイヤモンド・オンライン
ダマされるとかそういうんじゃなくてさ、会社、あるいは仕事に対して求めることがきちんと帰ってくるかどうかをきちんと考えようってのが大事なんじゃないかな
昔、某都銀は2年間くらい始発で終電な生活を送らされたらしい。伝聞だけど。んで、やることといったらコピーとったりとかそういう雑用、と。今時はコピー取るのも楽になってるからそういう雑用で忙殺されるってことはないんだろうけど、昔はフィーダーもソーターもないかたら結構大変だったりしたよね。でも、それを乗り越えると高給が約束されているとなればやらないわけにはいかない。大体、雑用なんて時間は使うけど頭も体も大して使うわけじゃないし、耐えられないってことなんてそんなにないよね。
一方、近年のワープア的なのは、仕事の大変さと見返りが一致してない。ぶっちゃけ、どんなに大変でもリターンが止まっていれば気持ちの上でもそれなりに耐えられるもんだと思う。かの新3Kで有名なIT業界ですら、給料か、技術力か、あるいはその両方が得られれば単に辛いってこともないし、自分への投資だと思う。
会社終わったあと英語習ったり、夜間の大学院に行ったりする人がいるけど、それってわざわざお金払っているわけで、そういうお勉強を仕事の場でできればそれは勤務時間が多くなるって考えなくても良くなる。
だから、労働の時間(質もか)に対して

  • 将来の待遇
  • スキル(自分のキャリアとして)
  • 今の給与

のどれかが水準を満たしていれば、それは会社と個人の良好な契約関係であり、どんなに労働時間が多くても社畜ではないだろう。よく引き合いに出される欧米の働き方についてもキャリア組は大体こんな感じのはず。
もう一つ重要な点は、自分自身の仕事をする動機。

  • 給料を得るため(生きていくため)
  • 人生において何らかの満足感を得るため

のどちらかあるいは両方。生きていくことができるならば、多少きつくてもしょうがないよって人もいれば、余暇のほうが大事だよ休めない仕事なんてヤだよって人もいる。今やっている仕事こそが趣味みたいなもので、それに時間を使うのはちょっと持ち出しかもしれないけど満足だよって人もいる。個人の考え方によって、仕事のきつさってのは変わってくるよね。ぶっちゃけ、趣味が仕事な人は、趣味で時間と金をかけるのと同じように仕事に時間と金をかけられるわけだ。

社畜ってのは、これらのバランスが完全に崩壊しているにもかかわらず、「会社が大事」だから無理をして仕事をする、というパターンに陥っている人のことをいうのだと思っている。経営者サイドから見ると、良き社畜というのは、どう考えてもこのバランスが崩れているにもかかわらず、やりがいがある仕事だと勘違いさせて搾取できる人のことを言うのだと思う。

よく、社畜といって批判する人は、どうしてかこの経営者サイドの目線でのみ社畜の判定をしがちだと思うんだよな。確かに本人が満足してれば良いじゃんという反論はちょっと危険かもしれない。でも、本当に社畜かどうかなんて、やっぱり本人にしか判断できないものだと思うんだよね。なんて言ってると過労死とか精神的に追い詰められて自殺したらどうするなんて話になってしまう気もする。そのへんのボーダーラインは難しいとは思う。

いずれにしても、社畜であるためには「会社が」大事というモチベーションがあるかないかが大きい。結局、人生のプライオリティーを会社ではなく自分において物事を考えている人は社畜足り得ないと思うし、それでもなお暴虐な会社から抜け出れない事情があるとしたら、それは個人の社畜根性ではなく、社会の構造や経済の問題であるんじゃないかな。