匿名であることの意味(本編その1)

まず、はじめに確認しておきます。
現在のウェブにおいて、真の匿名(身元が絶対にたどれない)であることは不可能とはいいませんが困難です。もちろん、手段がないわけではありません。今時多段プロキシ経由とか流行らないでしょうけど、野良無線LANはあふれているし、街角ワンコインPCを渡り歩くという手もあります。しかしながら、そのような形で匿名性を確保しようとして行う行為はほぼ犯罪的なものを企図しているでしょう。そういったものは議論における匿名実名論の対象にするまでもありません。実名にしたところでそういう人は尋常の手段で表に出るようになるわけではないからです。
よって、この項において、匿名とは「自ら身元を明らかにしない」で言論活動を行う人という枠で考えます。もっとも、誹謗中傷行為については先に述べた犯罪を行うための匿名という枠で考えても良いとは思います。

匿名であること、顕名であること

僕は、「匿名」です。もう一つの定義として、群衆の中のひとりではないという意味では「顕名」です。念のため解説しておくと、本名ではないものの、一貫して使い続けていることでパーソナリティとして認知されている名前を名乗ることをここでは「顕名」とします。とは言え、めんどくさいのでその違いをまずここで議論した上で、以降全て「匿名」で統一したいと思います。
いわゆる、「名無しさん」的匿名においては、その名前に価値はありません。あえて名前に価値をおかないというのが例えば2ちゃんねるの一部においては理念のようなものになっています。それは、「顕名」ですら、名前によるバイアスが発生することで純粋議論から離れてしまう、という考え方から来ています。権威主義の徹底的な排除ということですね。一方で、誰が話しているのかわからないことによる混乱や、悪戯が可能になってしまうという問題からは脱却できません。また、結局のところ、そこで排除できるのは権威主義的先入観だけであり、ある程度議論が深まると、パーソナリティに支配された論の戦いになることはほぼ避けえません。
とはいえ、そこで得られた成果は「名無しさん集合知」みたいな形になることはなります。場合によってはWikiのような形でまとめられるかも知れません。ただ、それは個人の持ち物でないことで護持することが難しく、メンテナンスもアップデートもされず放置されることになるでしょう。あるいは、その議論の場が擬似人格として作用し続けるかもしれない。そうした場合、その擬似人格はほぼ「顕名」と等しいものになります。結局のところ、権威主義から脱却できるのはその議論の場のみであり、結論を確保し続けるためには人格的なものが必要ではないか、と僕は考えています。
さて、この議論の場における匿名性というのは、場の性質上匿名対匿名での対話しか行われず、そのために人格そのものを攻撃することの意味を完全に失っています。実際、それもひとつの目的として場が設定されています。このため、ここでの攻撃が人に害をなすのは、その場の外に対する攻撃に限られます。そこには問題がないわけではありません。これは安全地帯から他者を攻撃することになりかねないし、それを止めるすべもあまりありません。ただ、批判ではなく攻撃になってしまっていることによって、結果として場が擬似人格として機能しているような場の価値は毀損されます。対外的に見て、顕名からの攻撃と等しいと考えればよいと思います。
特殊な事例の話が長くなりましたが、これをもう少し自由な場として展開すると、匿名と顕名の本質的な違いというのも少し見えてきます。すなわち、人格として固着しない匿名による論は価値を持たせ続けるのが難しいということです。「2ちゃんねるで主流」な考え方なんて、議論が止まった瞬間風化します。
ブログのコメント欄における名無しさんのコメントでも、その一過性さは明らかです。

ということで、僕はこう考えています。

  • 匿名(名無しさん)の言葉には基本的に価値がない
  • 議論に価値を持たせたかったら顕名(実名含む)にすべき

ちょっと価値がないというのは言いすぎだと思いますが、あえてこう述べます。仮に価値があるとしたら、それは宝石の原石としての価値です。磨く人がいなければゴミと同じです。そして、実際にゴミ(単なるヤジとか罵詈雑言)が多数混じっているので、その宝石を拾うことが困難であることにより、コスト換算するとやっぱり全体がゴミです。目利きであれば、そこは宝の山に見えると思います。それでよいのです。大半の人はゴミしか見つからない山にわざわざ入る必要もありません。匿名山から来ました〜って人は無視しておけば問題ないわけです。

ところが、顕名にすることによってゴミがゴミで無くなるかというとそうではないところに別の問題があります。
次回は議論の価値判断とは無関係の部分において、匿名とは何かを考えてみたいと思います。