さあ、選挙に行こう!

新しい世紀の幕開けから10余年。世界の仕組みそのものは変わっていないけど、みんなの考えがダイレクトに伝わりやすい世の中になって、ものごとをより良くして行こう、という気持ちの共有が少しずつできるようになってきました。それは負の方向性でも同様だけど、前向きにならなきゃね。
昔のSFでテレパシーなんかがでてくると荒唐無稽って思った人もいるけど、ほとんどテレパシーなんじゃないかと思われるほどの思考だだ漏れツール、twitterのお陰で政治家の本音もだいぶ透けて見え出しました。そりゃウェブで選挙活動を制限したいよね。普段は公演とかで支持者の前だけで話すからばれないゲスい思考がばれてしまいそうなお年寄りたくさんいるもんね。選挙戦略ってほんとはそういうのを統制してきちんと情報発信することだと思うんだけど、発信を制限することで防ぐってのはどうかと。
ただ、制限がナンセンスだからと言ってそれを破ったことを悪びれない弁護士資格を持った人とかも、良くないよね。まるで、大麻は害がないから無罪!みたいな。あ、弁護士って悪くても悪くないって言い張る職業でしたね。そうじゃないっていうならアレを除名してください。
そんなわけで、だいぶ選挙に意味がない、ということを本気でいう人がいなくなってきて喜ばしい限りです。さっき投票所に行ってきた感じだとなかなかの投票率になりそうです。

悩ましいのは、争点が分散しすぎていれる相手がなかなかマッチしないこと。僕もマッチングサイト使って見たら結果がXX党になって軽く絶望しました。
総論として合わないなら、他の何かを犠牲にしても、今ここで論じる必要がないはずの憲法改正を持ち上げている党には入れられないなあと思いながら投票しました。

さて、もう一つ大事なのは、最高裁裁判官。でも、これに関しては情報が少なすぎなんですよね。体裁だけ国民の審査にしているけれども、実際のところ、不信任になることはほぼないでしょう。
しかし、世の中の重大事件の判決において違和感を持ったことがある人は、それに関係した人がいないかどうかを調べて見るのも良いと思います。僕は高知の白バイ衝突事件については不信感を持っています。
あとさ、プロフィールみるとわかるけど、ほんといいの?って年齢だったりするんですよ。重大な判断を下すための過酷な審理に耐えられるの?
最高裁ってのは事件を一から見直すのではなく、地裁高裁の判断が正しかったかを再度審理する機関ですから、判決が覆ることはなかなかないですが、だからこそ、社会正義の最後の砦として機能して欲しいんですよね。

最後に、東京の人限定。都知事選挙も難しいです。三代連続アイディアだけ文筆業にやらせていいものか。過去の物言いとかをみていると、問題外のはずなんだけど、ここ最近の伝統的に都知事選はタレント人気投票に近いから、派手な物言いが好まれてしまう罠が。

いろいろと悩ましい選挙ですが、どういう結果になろうとも、みんなが投票したと言う事実が大事です。仮に議席に対する死票になったとしても、投票率がよければ、それだけの票が政治を監視しているぞ、というプレッシャーになるのです。無駄な票などないのですよ。

日本の明日のために、さあ、選挙に行こう!