僕は「猫ふんじゃった」が弾けない

幼少の頃から、ピアノを習っていて、まあ上手くはならなかったんだけど、ちょっとした曲なら弾けるようにはなった。テクニックを要さない曲を音楽的に演奏する、という点では評価されてたんだけどなw

で、猫ふんじゃった。興味を持って練習しなかった(天邪鬼なこともあり、踏まれた猫の逆襲なる曲を練習したことはある)ということもあって、弾けないw何事も練習しないと弾けないってことさ。
(才能がある人は練習しなくても弾けますが)

さて。

プログラマの生産性は20倍違うという表現は誤り、プログラムはピアノだと思えば良い。 猫ふんじゃったならだれでも引ける。
※なんかいま見れないので後で補足するかも

プログラマの生産性は20倍違うという表現は誤り、プログラムはピアノだと思えば良い。 猫ふんじゃったならだれでも引ける」という言葉はなかなか含蓄が深いけど、猫ふんじゃったを弾けない人もいるのだ。そして、猫ふんじゃったでも練習することで芸術的になったり、速いテンポで演奏できるようになる。
確かに、ショパンを弾ける(ショパンもピンきりで僕にだって弾ける曲はある)ピアニストは才能があるとは言える。誰にでも弾けるものではない。でも練習しているからってことでもある。
プログラマーの生産性っていうのは、簡単に測れるものではないけれども、「できる」「できない」の壁はよっぽど先進的な部分を除けば修練の賜物であることが多いんじゃないかなとは思う。いやね、天才は通常のことをやる分には修練が少なく済み、より多くの修練を積むことで常人では達成できない高みに立つことができる。でも、凡人でも大抵のことができるようにはなるかな。

ショパンを弾けるレベルの人材をどうやって作っていくか、というのがプログラマーの生産性の話に繋がっていかないとダメなんじゃないかと思う今日このごろ。