子供のネット依存とどう向き合うか

およそ未成年というものは社会に保護されつつ、将来の独り立ちに向けて修養を積む存在として位置づけられてはいます。これほどまで価値観が多様化している現代においても義務教育というものがなくならないのは、親の恣意的な意志によって教育の機会(あるいは社会的に正当な教育)を奪われることを避けるという理由もありますが、現代の社会は一定量の知識をもった人間が一定量いないと成り立たないからでもあります。もちろん、水準に未達であることは罪ではなく、それをカバーするだけの社会を作らなければならない、ということでもあります。
だから、そういった目的に叶わない何かに熱中することは基本的には忌避されています(本当か?じゃあ部活の義務とかいらんだろ?とは思う)。

今、ネットが悪者になりがちなのは、そういった昔から変わらない背景において、単に目立つものが叩かれているという部分は否定出来ません。

ネットに逃げる? 大変結構じゃないですか。今の大人が昔テレビやゲームに逃げていた場所がネットになっただけで、昔とそう変わらないと思ってます。いや、どちらかというとネットの方が全然いいと思う。

http://51h.in/2013/08/k12-smartphone/

言葉って難しいよな。「ネット依存」と一口に言ってもネットで何かすることに単純にハマっているだけの場合もあれば、他者との関係性で中毒になっている場合もあれば、(悪い意味での)冒険をしている場合もあって。

僕は重度のネット依存だと思う。中高生の頃なくてよかったと思う。テレビやゲームには楽しむ機能しかついていない。他人にコミュニケーションするツールではあるけれども、それはリアルワールドでの会話のネタという意味でしかないんですよね。でも、ネットは違う。神にもなれれば悪魔にもなれる。年上と交流できるかと思えば年下とも交流できる。しかも、正体を必要とせず。
これは、若い人たちにとっては自分を壊す(いい意味でも、悪い意味でも)ことのできる場だということです。そこに「監視する(助けてくれる)」大人がいないというのがまた大きな問題ではあります。肥大した自意識を上手くコントロールできずに肥大させきってその結果「JKとヤレるぜ」的なオトナの毒牙にかかったりもします。
社会人とは違って「成績以外の外部からの評価」を必要としない学生の間は、こういった身近な外部からコントロール不能の個人の領域における活動は結構危険です。問題が起きていることに気づくことが難しい。例えば、僕だってネトウヨになっていた可能性がかなり高い。気がついたら、自分の世界はネットにこそ存在するんだ、となって、依存してしまう。

もっとも、こういった問題はネットがもっと現実にリンクするようになってくると次第に目に見える形になってきて、逆にコントロールできるようになっていくとは思うんですよね。リンクが嫌なのであれば、この問題にはきちんと対処しなければならないと思う。「中高生のネット依存」というのは中高生自身の問題と言うよりはネットの有り様の問題として捉えるべきだし、今のネットの有り様を守りたい人ほどまじめに向き合わなければならない問題だと思うわけです。