IT業界における「2015年問題」はSI業界の悪弊を改める機会ではなく、ITという仕事の土方化を象徴するだけ

大抵の物事には黎明期→拡大期→成熟期があって、IT業界も例外ではありません。ただ、今となってはIT業界というくくり方事態が第一次産業第二次産業を一緒にするような乱暴さがあるように思えます。
SI業界、という括りにしても話は一緒で、SIなんてのは顧客に対してシステムを提供することで業務上の課題について解決する業態ということを表しているに過ぎませんから、出来合いのシステムを提供していく(極端なケースではSaaS)ソリューションも、スクラッチでシステムを作成するのもどちらもSI業界ではあります。

巨大案件で人手がたくさん必要なのは、SI業界の問題というよりは、単純に巨大システムだからです。システムを更改することが必要である以上、どのようなやり方でやったとしても人手は必要です。そして、巨大であればあるほど物事にはオーバーヘッドが発生します。

[2015年問題1]現行SIモデルは限界点に、業界に迫る最悪のシナリオ | 日経 xTECH(クロステック)

2015年問題というのは短期的に大量の技術者が必要になる一方で、その後需要が続かないという問題のようです。もちろん、それは事実です。

問題は、多重下請とか法令無視という話ではありません。それを解決したら需要が出る?あるいは生産性が劇的に改善し技術者の数が減る?そんなことはないですよね。

IT業界に限らず、モノを作らなければならない仕事というのは作業者という存在が必要不可欠で、かつ、その時時に応じて大幅に需要が変動するということです。すなわち、IT業界も工業化を進めなければ生き残れないということです。

システムという存在は個々の人間が関わる仕事一つ一つを横軸に配置して人間と置き換えていくものです。システムを構築するという仕事もひとつのシステムです。普通、仕事は企画があって取引先があって、モノを作る人がいて、それを受け取る人がいます。大抵の仕事には「生産者」や「作業者」にあたる会社や職種がありますよね。不思議なことに、システムを作るという仕事はなぜか「システム屋」が1から10まで行う仕事になっています。たまに企画屋だけいることはありますが…

これだけ世の中システムで溢れているのに、システム開発フローは分業を達成できていません。たとえば著者と出版社と印刷会社の関係性のようなものはありません。具体的な「モノ」が必要ないため、1から10まで自分たちで出来てしまったシステム屋の成り立ちが結果として今の現状を生んでいます。(その点、具体的に「モノ」が必要な基盤屋については分業が達成できていることが多い)
その結果、規模がでかくなるとどうしても必要な作業者の切り離しが上手く出来ず、単に業界内で格差を作るだけになってしまっているわけですね。

もっと徹底的に下流の作業を単純労働化して、他の単純労働と同じような(つまり労働者が業種をまたいで労働可能な)ものに変革させていかないといけないのです。システム屋が自前で肉体労働をしてしまうとシステム屋の要員の価値が平均的に下がらざるを得ず、そこがユーザーから丸見えの世界においては結果として労働者に行き渡る金をきっちり確保することができなくなります。

もう一つ別の考え方として、労働者が必要ない形の仕事に変えていこう、というのがあります。これはITがそもそも自動化、効率化を目的としているものである以上、自分たちの仕事にもそれを適用すべきという意味で実に的確な考え方です。

どちらも、現実的にはいろいろな壁があって実現がすぐには難しいものです。

単純労働を切り離すことはコードを書くという行為そのものの価値を失わせるかもしれませんし、簡単に質が上がるとも思えません。結局のところ、低賃金で人間を便利に使う仕組みになってしまいかねないという問題もあります。もっとも、現状n次請けの世界はそういうレベルではあります。

案件が集中すると大量の人手が必要、という事実はどんなに法律を整備しても変えようのないことです。需要がないときを耐え忍ぶために、頑張って稼いでおくしか無いのかもしれません。