どうしてそっちに行っちゃうのか

なんかなー。僕にしたって他の人にしたって「信念に基づいて」それを肯定したり否定したりということじゃなくて、現時点でより確からしい説明を信じているだけに過ぎないんだよねえ。そこにはある種の勢力に対する敵意は本質的にはなくて、ただ、その嘘についての攻撃はしなければならないって思っているだけだしね。
なんだけど、反対側にいる人達は、そこに悪意があることを前提に不毛な闘争を続けているように見えてしまう。
それじゃあなんの証拠にもならないよっていう指摘が「見たくないものを見ない」だけであるように受け止めていろんな手段で脆弱な仮定を仮定としてだけ見せられても納得するわけないじゃない。
可能性の提示ってのは常に大事だと思うけど、リスクの判断ってのは可能性の「確からしさ」によって行うべきであって、そうじゃなければ息を吸うのも水をのむのも家から出るのも布団から出るのも…出ないのも…危険って考えるべきなんだよね。たいていのリスクは「ありえないから気にしない」のに特定のものについてだけ「ありえないとは言い切れない」って言っちゃうのは誠実な態度ではないよね。わからないから怖いってほうがまだ全然マシで、自己の責任範囲で怖さを軽減させる(例えば移住しちゃうとか)はどうぞどうぞなんだけど、それを他人に対して主張するのはちょっとアレだよね。
ある種の誠実さが信念と結びついた時に必ずしも良い結果をもたらすわけではないねえ…