ヨーゲンvs安田で起こったことと匿名性の有り様について

匿名問題ブロガーだったからね。言及はしておこうかと思う。

安田浩一氏の「ヨーゲン」記事に見る正義の暴走について : 人類応援ブログ

この記事をどう見るか。僕は別にこの件を正義の暴走とは見ていない。これは私刑でもヘイトスピーチでもないと思っている。いわゆる、ネットの暴走問題というのは、相手のパーソナリティーではなく、プライバシーを暴くことだ。もっとも、今回の件がプライバシーの域に触れているという見解はあるだろう。僕はボーダーラインと見ている。

ヘイトスピーチだろうがなかろうが、ウェブであろうがなかろうが、社会に対して(それは他者に対して、というのとだいたい同義だ)何か働きかけをすることは繋がりができることではあり、真の匿名性はありえないし、一方である程度の壁を意識した活動もできる。全ては、人間関係に基づくリスクに依存していて、大過なく過ごす人の大半は、深い恨みを買うことなく日々を過ごしているのだろう。

防御力は必ずしもその必要性と比例していない。当り障りのないことを書くのにもTorを使う人もいれば、犯罪に当たるようなことを実名で書く人もいる。たいていのことは、意識的な防御力の行使によってやり過ごすことは出来きるけれども、自分自身はこの程度は大丈夫だろうと高をくくっていても他人がそう思ってくれないことによって、実は防御なんてマキビシを撒いているだけのようなものでしかないことにようやく気づく。

執拗な追跡と取材にかかれば、ウェブから人格を割り出すことは容易であることがほとんどだ。労力という観点で考えると容易というのは語弊があるかもしれないが。

もはや実名で堂々とヘイトを書き連ねている人が珍しくない現在において、匿名のスピーカーになどどれほどの価値が有るだろうか、と思わざるをえないのだけれども、人を呪わば穴二つであり、匿名であることが自分を守ってくれていると考えているのであれば、それは浅慮であったと言わざるをえない。ましてやそれが他人の恐怖を煽るものであれば尚更。