どれほどのものかは

かの者は悪行の報いを受け、人生における代償を支払うことになった。その一方で強制的に取り立てた者たちがいる。無自覚に、権利があるかのように。行き過ぎた、偏向した報道をもってマスゴミという。殊更に必要以上の情報を暴き立てる行為が、その普段は蔑むメディアたちの行為とどれほどの違いがあるのか。
一方で監視社会に反対し、一方で私的監視社会を作り上げる。秩序のための無秩序なのか。いや、それは単なる無秩序に過ぎないだろう。ルールは、運用されることを前提に作られる。運用とは、すなわち柔軟である。人が人として社会を形作る以上、個々の考え方の相違点が社会全体に影響するラインにおいてルールが作られる。そのルールですら、当事者同士の合意によってなかったことに出来なくはないものである。社会はルールの厳密な適用を求めているわけではなくて、柔軟な運用を求めている。
然るに。
ルールの厳密な適用は第三者によって行われるべきではない。判断するのはあくまで当事者であり、客観的に情報を得ることが出来るだけの立場で実行が許される範囲はその知りえた情報を超えない。それを超える行為を行うとき、既に当事者である。つまり、必要以上に追い詰めて、人一人を破滅させた当事者足りうる。
無論、かの者がした行為はそれに当たるのかも知れない。本来それを裁くものは誰であったのか。しかし、裁いてしまった。客観的な指標もなく。
そのことに自覚的であるならば、よい。人を呪わば穴二つ。呪っていないのであれば問題あるまい。あるいは呪っている自覚があるのであれば、穴に入る覚悟は出来ているのであろう。無自覚であるならば、自覚せよ。ネットで他愛の無い軽口を叩いただけで逮捕される日が来るとしたら、それは無自覚な精神がなせる業だろう。

YesかNoでお答え下さい

そう問われたときに、YesともNoとも答えづらいときはどうすればよいのか。新聞による世論調査など大体誘導的な問いになっているのだろう。
Yesである、あるいはNoである、とした場合に、その設問の周辺の議論に対してYes/Noを表明したことにはならない。はず。設問のうち、誰が見ても客観的に誤解の仕様がない部分についてのみ、Yes/Noが有効であると考えると、議論の過程でYes/Noの質問を突きつけることは相手を誘導して嵌めようという意図がない限り、それほど有効な手段とは思えない。

音楽業界における直接的パトロンシステム、artistShare

芸術の世界と言うのは常に不公平なものだ。世の中が豊かになった現在、アーティストは生きているうちに有名になりたがり、艱難辛苦の道を歩むことは性向では無いと見做しがちだ。本来芸術とはまず自分の中での一貫した評価があり、それをさらに他人が評価できるか否か(自分の評価が正しいかどうか、は100年後にわかるかもしれないけれど)によって芸術と認められるかどうかが決まるものだ。だから、商業芸術的なものは必ずしも真の芸術ではないかも知れないが、アーティストへの富への分配はこちらのほうが多いことがある。
かつて、芸術家がマーケットではなく、パトロンに養ってもらっていたときも、同様であって、必ずしもパトロンの審美眼が正しいわけではなく、ただ気に入られたことでプッシュされているだけの芸術家も居ただろう。それは、「当時は有名今無名」の芸術家が多数いることからも明らかである。
今、例えば再販制度で出版社を維持しないと非エンターテイメントな文学が潰れてしまう、とか、メジャーなアーティストが稼がないと新人が発掘できない、と言われることがあるけれども、それは言い訳だ。商業的に成功できなければ世の中に認められないとしているだけだ。貧乏暮らしに血反吐を吐いても真の芸術を追求すると言う気概に欠けるだけだ。社会が豊かになったその余剰を掠めることが成功だと思っているからだ。
なんていうことを芸術家の人々に言うと怒られてしまうだろうけれど、最近の著作権延長云々の話を聞くにつけ、そういった気持ちが強くなってしまう。
商業芸術におけるパトロンシステムの崩壊と再生への道 (1/3) - ITmedia NEWSを見て考えた。
かつて紹介したけれども、CDをメジャーレーベルで出さないどころか、お店に並べないにも関わらず、グラミー賞を取ったアルバムがある。Concert in the Garden / Maria Schneider Orchestra - novtan別館のことだけれど、この人が利用しているサイトは、アーティストに対して直接的な「援助」を行える。新しいアルバムを優先してダウンロードする権利や、レコーディングに参加する権利まである。この人の場合1人の$18000、2人の$7500、5人の$2500、10人の$1000のパトロンが全部売り切れになっている。あとは個別にCDのプロジェクトにお金を投じたりすることができる。MP3のダウンロード販売も出来るし、CDのパッケージ販売、物によっては豪華版の販売もある。ビッグバンドは聴くだけではなく演奏したいと言う需要もかなりある反面、譜面の入手性について問題になることが多いけれども、当然のことながら、全てダウンロード販売が可能だ。
こう言ったシステムは、一見売れてからではないと使えないようにも思えるけれども、サイト(http://www.artistshare.com/)全体がレーベルとして機能することと、サンプルとしての楽曲の配布が容易であるというWebの特徴によって、新人アーティストにとってもチャンスが与えられるということになる。
現状は、既存の仕組みの中でアーティストを売り出して当たった場合に得られる収入の方が多いかも知れないけれど、インターネット人口が有効マーケット人口に一致するところまで来たら、既存の仕組みはいらなくなってしまうかも知れない。