音楽業界における直接的パトロンシステム、artistShare

芸術の世界と言うのは常に不公平なものだ。世の中が豊かになった現在、アーティストは生きているうちに有名になりたがり、艱難辛苦の道を歩むことは性向では無いと見做しがちだ。本来芸術とはまず自分の中での一貫した評価があり、それをさらに他人が評価できるか否か(自分の評価が正しいかどうか、は100年後にわかるかもしれないけれど)によって芸術と認められるかどうかが決まるものだ。だから、商業芸術的なものは必ずしも真の芸術ではないかも知れないが、アーティストへの富への分配はこちらのほうが多いことがある。
かつて、芸術家がマーケットではなく、パトロンに養ってもらっていたときも、同様であって、必ずしもパトロンの審美眼が正しいわけではなく、ただ気に入られたことでプッシュされているだけの芸術家も居ただろう。それは、「当時は有名今無名」の芸術家が多数いることからも明らかである。
今、例えば再販制度で出版社を維持しないと非エンターテイメントな文学が潰れてしまう、とか、メジャーなアーティストが稼がないと新人が発掘できない、と言われることがあるけれども、それは言い訳だ。商業的に成功できなければ世の中に認められないとしているだけだ。貧乏暮らしに血反吐を吐いても真の芸術を追求すると言う気概に欠けるだけだ。社会が豊かになったその余剰を掠めることが成功だと思っているからだ。
なんていうことを芸術家の人々に言うと怒られてしまうだろうけれど、最近の著作権延長云々の話を聞くにつけ、そういった気持ちが強くなってしまう。
商業芸術におけるパトロンシステムの崩壊と再生への道 (1/3) - ITmedia NEWSを見て考えた。
かつて紹介したけれども、CDをメジャーレーベルで出さないどころか、お店に並べないにも関わらず、グラミー賞を取ったアルバムがある。Concert in the Garden / Maria Schneider Orchestra - novtan別館のことだけれど、この人が利用しているサイトは、アーティストに対して直接的な「援助」を行える。新しいアルバムを優先してダウンロードする権利や、レコーディングに参加する権利まである。この人の場合1人の$18000、2人の$7500、5人の$2500、10人の$1000のパトロンが全部売り切れになっている。あとは個別にCDのプロジェクトにお金を投じたりすることができる。MP3のダウンロード販売も出来るし、CDのパッケージ販売、物によっては豪華版の販売もある。ビッグバンドは聴くだけではなく演奏したいと言う需要もかなりある反面、譜面の入手性について問題になることが多いけれども、当然のことながら、全てダウンロード販売が可能だ。
こう言ったシステムは、一見売れてからではないと使えないようにも思えるけれども、サイト(http://www.artistshare.com/)全体がレーベルとして機能することと、サンプルとしての楽曲の配布が容易であるというWebの特徴によって、新人アーティストにとってもチャンスが与えられるということになる。
現状は、既存の仕組みの中でアーティストを売り出して当たった場合に得られる収入の方が多いかも知れないけれど、インターネット人口が有効マーケット人口に一致するところまで来たら、既存の仕組みはいらなくなってしまうかも知れない。