炎上しないブログってのはギャグか何か?

ブログが炎上する原因ってのは、大体においてブログ外での出来事をブログに書くか、または、有名人等であれば、ブログの内容に関わらず、実活動において非難されるべき行動を行ったときに起こるものであって、また、その初期段階では火種が引火しやすいものの前に置かれたレベルであるのに、消火活動を誤って燃え広がってしまうことがほとんどであろう。そういった意味で、ブログ自体のコメントを制御することで炎上を防ぐ、と言うのは既に発想が対症療法であり、炎上の根本的な意味を勘違いしているように思えてならない。
と言うわけで、以下の話はきっと炎上ではなく、単なる「荒らしに強い」ブログに過ぎない。とは言え、書いてあることにしたがってとりあえず炎上であるとしておこう。

同社は十数年前のインターネット史以前のパソコン通信時代の掲示板から現在のインターネット上におけるブログやSNSなどで発生したフレームアップ(ネット上での口論や紛争)を分析した結果、その発端の多くが「感情的又は感情を害するコメント」と「他人の議論に割り込むコメント」(横レス)にある事に着目。
 ブログエントリーやコメントを書き込む際にあらかじめ返信コメントを許可する相手を限定する仕組みと、いわゆる荒らしや雰囲気を害する人またはその兆候のある人とのやりとりをトピック本体から切り離して別の非公開トピックを作成し移動させる仕組みを完成した。

http://japan.cnet.com/release/story/0,3800075553,00021005p,00.htm

この仕組みは、炎上しないブログ、ではあるけれども、そのことについての議論が炎上状態にならないことを意味しない。つまり、ブログそのものが炎上しなくなるが、移動するとはいえ、そのエントリには好意的なコメントしか残らない可能性が大である。とすると、今のコメント承認制との差異はあまりない。移動先が大炎上するか、そのブログ以外の箇所、例えば2chをはじめとした匿名掲示板や、他のブログ(当然大量のトラバも予想される)から熱が放射され、ブログが蒸し焼きになることが容易に想像できる。
もう一度言うと、ブログが炎上する原因は、大抵の場合そこで行われる「議論」が原因であることはなく、その他の軽率な行動によっておきる。ブロガーが考えなければならないのは、ついた火を煽る風を送り込むコメンターを排除することではなく、自ら火をつけない、ついてしまった火を適切に消化する、ということが第一であって、その上で、いわれもなく粘着され続けたりする場合にこのようなシステムの導入を検討する、と言うのが正しい方法論ではないだろうか。

私刑ではないか

およそ悪い行為をすることは、破壊活動以外のことであれば、大抵悪いことをしないよりも利益を得ることができる。だから、悪いことをするやつに対して妬み的な、一方的に利益を享受しているような、こちらは我慢しているんだから我慢できなかったやつは報いを受けろ的な、感情を抱くことは自然なことではあるが。
誰かがWeb上で悪行を晒したからといっても、我々が出来ることは、記載されているう情報を基に「通報しますた」程度のことであって、Webに掲載されていないプライベート情報の特定や掲載という行為は行きすぎであると思われる。
例えば、僕の身元は公開されているいくつかの情報から辿ることは出来るだろうけれど、あえてWeb上に自分の情報として掲載されていないものを詳細に調査されて公開されることは望まない。そのこととどれほどの違いがあるのか。少なくとも、彼の悪行を通報することにおいて、必要な情報は現地調査ではあるまい。すでに報いを十分に受けさせたと思える以上、その後の行為は必要以上のプライバシーの侵害である。
一方で権力による監視を嫌がり、その一方で自らが権力として必要以上の監視を行うのであれば、それはダブルスタンダードと言えるだろう。もし、Web上で得られる情報以上の情報を得る必要があるとすれば、例えば詐欺の被害者が相手先の住所が実在しないことを証明すると言ったような、事案に対する直接的な影響のある調査にとどまるべきであり、それすら社会通念上、(被害者と言う立場があるからこそ)黙認されているに過ぎないと考えることも出来る。
一方で、以下のような考え方もあるだろう。公権力による調査が出来ない(圧力や不信など)場合、ジャーナリストが取材により事件を明らかにしていく構図と同じである、と。しかしそこで公にされるのは取材の過程ではなく、裏をとれたと判断した最終結果である。そして、こういった取材ですら、場合によっては行き過ぎとみなされる。社会の利益になると判断するのはジャーナリスト自身ではない。
悪いものは悪い。そのことについては特に異論あるものではない。しかし、告発する過程での行き過ぎた行為は果たして覚悟あってのことなのかどうか。一般に匿名の陰に隠れて、と揶揄される必然性はないと考えているが、こうした行為において、匿名にネガティブなイメージをうえつけられるのはWebの未来にとってなんら得るもののないことだと思う。

匿名も実名も関係なく悪い奴は悪い

またmixiでの悪行自慢から始まって大炎上になっていたりするのですが、だから実名は怖いとか言うつもりはまるでなく。匿名が必要ってのは別にこんなのを擁護するためではないからね。
僕らが必要としているのは、ささやかな権利としての匿名であって、悪事を隠蔽するための匿名ではない。匿名がある以上悪が栄えるのだって思われても返す言葉に困ってしまう。実名だって悪い奴は悪いんだよ。