コネ採用の官民格差

まず、いくつかの違いがあって、官は基本的に人民に対して公平足るべき存在であり、それは採用についても同様であること、また、滅多なことでは首にならないから、採用したものが相対的に能力が低いのであれば、その分税金を非効率に使っていることが問題だろう。
大して民間は、コネ採用がその会社を滅ぼしても誰も助けてくれない。世襲した二代目ぼんくら社長によって衰退した会社なんて枚挙に暇がないくらいあるだろう。コネが有効さを失ったときは首を切ることだって可能だ。
だから民間が良くて官がダメってわけじゃない。民間だって会社は社会に対して責任があるという建前上、本当はダメだ。だけど、そのコネを重要視してそのことによってビジネスが上手くいくのであれば、そういうこともあるだろう。
むしろ「官だからちゃんと公平に出来るんです!」ってのを前面に出すべきなんだと思うけどな。まあ、東洋的な官と言うのは既得権益みたいなものなんだけど。

しかしイタリアもあれだよな

世界遺産にプレートっていうのもすごい話だ。ヨーロッパって「金の斧ですか、それとも銀の斧ですか?」って聞かれたら普通は金の斧って即答するような道徳観なんだっけ。

大聖堂の事務局長は「謝罪訪問という勇気ある行動に感銘を受けた。寄付金で落書きを消した個所に、学校名入りのタグ(銘板)を作りたい」との意向を示したという。

http://www.asahi.com/national/update/0710/NGY200807100015.html

まあ、日本人の道徳観(という名の社会的圧力)というのはこんなものだよ、ということを世界中に知らしめる意味では良かったのかもね。別に晒しageとか思わずに堂々としていれば良いのではないかな。
日本人にとって文化財って「壊れるもの」であることが多いし、良く焼けるし、勿体無いよね、的な何かがあるんじゃないかと思ったりする。上手く生活の中に溶け込ませていくよりは大事に蔵に保存してしまうような。そういう感覚で外国の文化遺産に対するから過剰に反応するんだろうな。逆に、このイタリアの感覚で日本の文化財にいたずらされたら…建築物だったら削ったり建て直したりするから良かったりするのだろうか。いずれにしても、日本ではこうだぞってのが伝わってのであればそれでよいと思う。

はてブなりの何か

ソーシャルブックマークって、特にはてなは「ブックマーク」としての使い方のほうが少数派なんだと思うけど、僕は最初に使い始めたときは、「ああ、ウェブ上においてどこからでも使えるようにするものか」と思って使ってた。
でも、「自分のPC同士」じゃなくて、「他人と」共有するものだ、と知った瞬間、使い方を変えたわけです。そして、今に至り無事非表示ユーザー615選に選出されました!
http://anond.hatelabo.jp/20080709220323

はてブとクネクネ

一番いかんなーと思うのは、クネクネだ。多分、外部から見たクネクネ度は当事者に見えているものよりもかなり高いものであると思う。なぜなら、当事者はそれが「たまたま」であることを知っているけれども、外部には本人達の事情はわからないので「あいつらまた絡んでやがる」と見えるだろうから。確かに絡むことはあるけど、誰かがブクマしたところに現れて、同調的なコメントや、ネタ的なコメントをすることなんて滅多にない。出現場所が被るのは仕方がない。だってお気に入りになっているからなあ、大抵は。でも、きっちり追いかけると、色んなところで意見が対立しているのもわかると思う。
ただ、ある種の共通認識の下、同じ方向のコメントを下していくところはある。それは、元々同じような思考をしている部分であり、お気に入り同士になっている所以だったりするから、クネクネ以前に当たり前のことなのではある。
ある意味では、2ちゃんねるニコニコ動画的、ネタ乱舞になることがある。それは悪い相乗効果であることもある。一人が思ったことが連鎖的に同種の精神により練り上げられていく様は傍で見ているとキモイかも。

はてブとコメント

僕は常にコメントを書くようにしている。基本的にはね。評価というとおこがましい。単に、「どう見たか」を書き残しておきたい。同時に、他者の「どうみたか」によって自分の意見が修正できることもあり、自分が積極的にコメントすることで他者のコメントを誘えるのであればそれはそれでよいことだと思う。が、ブクマ対象ページにとってそりゃねーだろと思われることがあるかもしれないのは、自分のエントリについたブクマにそういう思いを抱くことがあることからわかってはいるけれど。でも、自分のエントリのブクマには出来るだけコメントが付いて欲しいとも思う。プラスであってもマイナスであっても、何かを考える助けにはなるのだし。

はてブとタグ

タグは目安だなあ。タグで共有知とかは基準が示されていない以上は幻想かと思う。
自分の中でも統一できていないので、ついつい「社会」とかでお茶を濁す

はてブとブクマ

とはいえ、携帯でお気に入りを見て、後でちゃんとPCで見ようと思ったときはブクマだけして、場合によっては消したりもする。そういうテンポラリな用途にも使いようがきちんとあるのがやっぱり便利なところである。
たまたまそこにはてブがあったから使っている、という点も大きいと思うし、はてブのコメンターたちが為すコメントが一望できるインタフェースがなんとなく好みに合っているという点もある。次期はてブがどういった形になるかわからないけれども、共有知という大それたものでなくても、何かしらが共有されることで起きる相乗効果が気持ちのよい方向により多く向かうように期待したいな。ネガティブは避けられず、しかし、気にするほどのことでもないような何かに。