国を愛する心なんて自然に生まれてくるはずが無い

美的感覚は刷り込まれるものである。本能と体の構造に即した美はそれでもあるとは思う。黄金比であるとか、和音であるとか。しかし、桜がはかなく美しいことや、四季折々の風景に日本を感じるなんてのは、生まれつきのものであるはずが無い。親や周りの人間が美しいものとして何度も言うからそうだと思っている。その積み重ねがあって初めてそのものを愛する気持ちが出てくるのではないか。無論、それに反抗を覚えて違う価値観を構築するものもいるし、人それぞれではあるけれども。
画一的というけれど、そもそも国という形態そのものは生物にとって不自然なものなのであるから、それを愛することなんてのはある程度方向付けがないとできないのである。平たく言ってしまえば、愛国心とはその国の政体を愛するに他ならない。「四季があるから日本が好き」と言うのは、国ではなく、風土を好きなのに過ぎない。
さて、日本は民主主義の国であり、平和憲法を是とする世界に稀有な存在である。今、国を愛すと言うのは、そういう国を愛すと言うことである。さて、憲法の改正を行うと言うことになれば、果たして同じように愛し続けられるのか。国民投票を行ったときに得られた結果が、すなわち今の国民の愛国心ということになるのではないか。
愛国心なんてのはそんなもの。政体を変えるほどの不満があるかどうかのバロメーター。残業代が出なくなっても暴動が起きなかったら、みんな少なからず国を愛しているってことなんだよね。