日本の知財終了のお知らせ

http://www.asahi.com/national/update/1123/TKY200611230288.html
そもそも日本語がおかしいような気がするのですが、「音楽や映像を違法コピーした「海賊版」をインターネット上からダウンロードすることを全面的に禁止する」って「正規版」が何を意味するかわからないよ。違法コピーって私的利用のためにアップロードしたのを誰かが(間違えて)持って行っちゃった場合はどうするんでしょうね。
ともかく、Winnyとかで明らかに違法コピーであるものをダウンロードする行為はまず対象にするものとして分からなくは無い。しかし、本当に何をダウンロードしたか、また、それが事前に違法であることが明確にわかるマーカーがついていることがはっきりしていない限り、適用範囲は限りなく広がってしまう。例えば、違法ハッシュDBが公開されていて、公認のダウンローダーやブラウザのプラグインはそれを自動で参照し、非公認のダウンローダーやブラウザは自己責任でハッシュを確認しなさい、と言ったような運用も法で定めて、不自由だが限りなく法律を守らせるような仕掛けを構築することも不可能ではないだろう。
確かに、現行の法律では「明らかに不正なコンテンツ」であってもダウンロードする側に責任を問うことはできない。だが、ちょっと待って欲しい。真に取り締まるべきなのは、依然としてアップロード側なのである。そのアップロードが違法であるか、合法であるか。コンテンツが様々な形態でネットで公開されていく未来、果たしてユーザー側がそれを判断できるのだろうか。先ほどの例を挙げればJASRACのような管理団体を作りホワイトリストを作ることで、合法コンテンツであることを示すことは可能かもしれない。しかし、その合法アップロードした団体が消滅し、著作者本人は公開したくてもできない事態、すなわち今のCDの廃盤コンテンツのような事態が発生する可能性は高い。
ダウンロードを規制することそのものがコンテンツの魅力を減少させ、ますます価値が下がっていく。コンテンツを誰でも公開し、広めるようにできるようになった現在、そういった制約を受けないコンテンツが既得権益の元で保護されたコンテンツを完全に駆逐するかもしれない。それに既存のコンテンツが対抗するにはできるだけ様々な手段で流通するように努力することじゃないかと思うのだが、この著作財産権の確保のみを目的とするような誤った著作権保護が果たしてプラスなのかマイナスなのか、もう一度マクロな視点から考えてみたほうが良いのではないか?
人口に対してもコンテンツ供給過多と思われる現在、どうせ100年後の未来、不朽の名作として語り継がれるものなんて全コンテンツの何万分の一(でも多いか?)でしかない。資料として死蔵されて二度と日の目をみないことが著作者として生きるものが望むことであれば文句の言いようも無いのですが。