自分の世界で専門外の物を語ると言うこと

ちょっと支離滅裂になりそうだが、どうにも書かないと気がすまないので書いてみることとする。
常日頃からネットに対するある種の恐怖を感じていることがある。専門外の人があたかもそれが事実かのようにでたらめを語ることだ。何も言うなとは言わない。疑問を呈することは一己の個人として認められるべきことであるし、硬直化した世界を変える可能性のある第一歩かもしれない。しかし、一つのごく限られた事例−それは時として誤解に基づく事実無根の出来事だったりするのだが−を以って真実として広めようとするのは一体何様なのか。
自分の体験を語るのは構わない。問題はそれを単純に汎化してあたかも真実のように語ることである。無論、自身がそれについての専門家であれば文句は言わない。不誠実な専門家もいるかもしれないから、その人が言うことが必ずしも真実であるとは限らないのは認めよう。しかし、専門家と言うのは、専門じゃない人が思っているより遥かにその出来事について知っているのだ。それは自分の専門について思い起こしてみれば明らかな話である。生兵法は怪我の元と言うのは故事ではなく一般的に通用する事象を表現しているのだ。
しかし、先に述べたように主張するのは自由だ。問題は、それを無批判に広めてあたかも事実のように喧伝することである。Adan Kadan Blog ブログより大切なもの-IIで阿檀さんが怒っているポイントとは違うかもしれないが、批判の対象にされている人間が結果として行っていることはそういうことである*1初心者を導く立場を標榜しながら自分の注目度には無頓着*2で、内容について吟味することはなく表面的な気分のみを受け止めて転載を行うと言うのは一体どういう了見なんだろうか。
これは自戒でも有るのだが、はてブのコメントですら、記事の内容を忖度しないで気分のみで付けてしまうことは同様の危険性があると感じている。例えば、心理学・精神医学系のお話は素人立ち入り禁止な部分がある。人間なんて簡単に壊れるのを知っている専門家は決して素人に何かをさせたりはしないはずだ。素人カウンセリングや自己診断的な部分が無批判にホッテントリに上がってきてしまうような事態はしかしそう避けれるものでもない。だからせめて調子に乗って転載をするようなことだけは自制してもらいたいと思っている。

*1:補足しておくと、そもそもの元記事の作者の人は立場上ものを申すことは問題ないと思う。転載してくださいということには相変わらず賛成できませんが。

*2:ではなく、ものすごく意識しているはずだが