思考停止キーワード:「善悪の問題です」

忘れてはならないことだが、善悪には「マクロ善悪」「ミクロ善悪」があり、それらはさらに「歴史的善悪」「宗教的善悪」「コミュニティー的善悪」などによって細分化される。つまり、これらは人間が積み上げてきた価値観の表出であって、ここに立脚した議論はその共通の「善悪空間」でしか成り立たない。したがって、価値観を共有することが最終目的でない限り、「善悪」を議論の対象とする、または判断基準とするのは大抵の場合、誤りである。まずこの前提を確認しないで善悪を持ち出すと、議論は水掛け論になるのが必至である。
また、善悪が共有できている場合、良い悪いで議論が終結してしまうことがあるので、その善悪の判断が思考の停滞を意味する、つまり固陋な考えに囚われていないかどうかを考えてみたほうが良い場合もある。