YouTubeとのビジネスを拒否して損をするのは誰か

原則論で言うと、日本の著作権にとってYouTubeの今の現状と言うのは賭博場を開いておきながら「金を賭けるのは利用者の問題です」と言って放置しているようなもので、しかも主催者は某国大使館職員で場所は大使館内ですよ、というのに近いのではないだろうか。しかし本質的にはテクノロジーの過渡期において取りうる多様な未来への可能性の一形態である。旧来の原則を守り続けることが果たして文化のためになるのかどうか、これは著作権者が(財産権の問題を主張するのであれば特に期間の延長なんかよりももっと先に)考えなければならない話だ。
さて、当然のことながら、コンテンツの流通の仕方に変革がおきると旧来のコンテンツホルダーというよりはそれを流通させることにより、コンテンツそのもの、また付随する(広告料などの)利益を得る側は収入減になることを恐れる。(もちろん侵害が撲滅されるのを理想としつつ)ある程度侵害されている現状を受け入れる代わりに新たなビジネスの糸口を与えなければ、長い目で見たときの大幅な収入の減少が避けられると踏んで、またその期間内で自ら管理し配信する仕組みとその利権を手に入れてしまえば、次世代においてもコンテンツホルダー・流通業者のままでいられることだろう。
映像コンテンツにおいては個人のみが利権関係者であることはめったにないからあるいは上手くいく話かもしれない。
ところで、そういった業界がこの手の話をするのであればよいのだが、著作権管理団体が出張ってくるのはどうか。管理団体は法の番人ではなく、著作権者の代理人だ。なぜ著作権者の意向を考えず「違法コンテンツだから排除しろ」という話になるのか。つまり、著作権者の最大利益のために働きますよ、ではなくて、旧来の枠組みを維持するために働きますよということで、これは結局原著作権者ではなく流通業者のために働いているのとほぼ等しい。
YouTubeが可能にしたかもしれない著作権者の新たなビジネスを軽くひねり潰すような管理団体に著作権を委託している人はさて、今後どうするのが正しいのか。結果として損をしているのは誰なのか。