好意と悪意の狭間

ブログなどで表明した自分の意見や感情についてのコメント・ツッコミに対して必要以上に善意・好意であるとか悪意であるとか考えるのはしんどいよなあと思ったりする。お互い背景を書かれていること以上には知りえない程度の関係において、期待できることは限られているわけだし。
だからコメントは常に冷静な批評として受け止めることにしている。明らかに悪意が放出されていたとしてもそれを受け止めなければならない義務はないし、それよりはその悪意の部分をフィルタリングした結果として残ったものについての意味を考えた方が建設的ではないか。
と、冷静な人格を装っている自分が主張しているわけだ。ここに何かを書くときに既に自分の思考のかなりの部分がそぎ落とされているからそう思えるのかもしれない。もっと心の赴くままに、あるいは心の奥底までを書き連ねているのであればそんなことを言っていられないかもしれない。
それでもやはり他人の真意は結局のところわからないものであるから、感情っぽい部分では勝負したくないのだよなあ。