実名で活動することについて、リアルの安全性とネット社会のギャップ

最近はそうでもないというか崩壊してきたような気がしなくもない日本の社会の安全性ですが、依然として諸外国(もちろん全部ではなかろうが)に比べて遥かに無防備でいられることは間違いないでしょう。このことを我々が安全すぎて身を守るすべを身に付ける機会を逸しているというように考えると、社会にとって安全性が崩壊するということが如何にリスクが高いことであるかがわかります。ここでいう身を守るすべと言うのは、今の「犯罪があまり起こらないことを前提とした社会システム」ではなく「犯罪が大いに起こりえることを想定した社会システム」でなくてはならないということです*1。このへんの評価については異論があると思いますが、とりあえずその前提で話を進めます。
となると、いわゆる「荒らし」「誹謗中傷」「クラッキング(を初めとしたセキュリティー問題)」「ネットストーカー」などの問題がリアルに直結したときに上手く立ち回れるかどうかについては疑問があります。
この中で銀行のサイトを使ったときのようなセキュリティー的な問題はある程度仕掛けで担保されている部分があります。これは現実でもキャッシュカードを落としたりしたときの問題とあまり変わらない話です。その他の問題は現実の世界では必ずしも本人の前で行う行為ではありませんがネットでは時間と空間を超越することができるので常に本人へ直結します。
これは必ずしも行為をされる側のデメリットというわけではなく、行為をする側にとってもされた側の恣意的な受け止め方によって本来の意図と違う(荒らしをしたつもりがないのに荒らし認定とか)話になってしまうという危険性が常に存在するわけです。少なくともこのような事態を軽く考えてはいけません。
ネットの利用形態は乱暴にまとめると2つに絞られると思いますが、一つは銀行やAmazonのようなリアルの生活活動の代替として企業などを利用する、つまり消費活動とそれに関連する調査(ぐるなび使ったりとか)であり、もう一つはホビーとしての利用です。このうちのホビーとしての利用形態に果たして実名が必要なのかというと上記の社会のシステムとしての観点から言うと大いに疑問なわけです。
ところが、大変わかりにくいこととして、言論などについてはそれが社会人としてのビジネスであったり趣味としてであったりというボーダーラインが目に見えてはないことがあります。そうすると、完全に立場違えば意見が違うという話になってしまいます。実名であるべきと言うのは単に趣味として利用している人たちにとっては利用の制限に思えることが多いでしょう。
だから、実名であるべきという話を推し進めるにはある程度前提と言うか、態度を明確にすべきなのではないかと思います。例としていくつかアイディアをあげてみます。

  • 原則実名にするよう法律を制定する。それ以外のフォローはしない
    • それが社会として正しいありようであるという論。
    • 実名でできないようなことはやるべきではないので実名で構わない。
    • 実質ネット利用の制限(責任の取れない言論については自由ではなくても良いという考えか)
  • 原則実名にするが、同時に現実の世界で責任を取りやすくする
    • 裁判沙汰への社会的フォローが必要
    • 弁護士の数・弁護料・損害賠償額の現実的な線での折り合い
    • 裁判の長期化を避ける仕組み
    • 言論とそれによるトラブルで簡単に解雇されない仕組み
    • 告発サイトなどの運営ができるようにするにはどうするか
  • 匿名については今のままでよい
    • モラルに任せた運営は限界であるため、匿名だからと言っても最終的には保護されていないことを広く伝える必要がある
    • 実名に対する言及については何がしかのガイドラインが必要か
    • 匿名と顕名は分けて考える。真の匿名は必要か?
  • いっそみんな匿名にしちゃえ
    • ネットと現実を結びつけることを禁止w
    • 全部イニシャルトーク。A国とかB総理とか株式会社C社とかw
    • もう何がなんだか誰が誰だかわからないので何も信用できませんw

まあ、最後のは冗談としても現実社会とネット社会にギャップがある以上、現状をなんらかの形で変えていかないといけないのは事実です。そしてネット社会が現実のボーダーを侵すのであれば、あるいは現実の側から侵すのであれば、両方でバランスされた形で変えないとその目的とすることを達成するのは難しいのではないでしょうか。

*1:例えば誹謗中傷をしたとして裁判の被告になっただけで、あるいは痴漢冤罪で裁判沙汰になったりするだけで会社を首になるような社会