俺たちのインターネットが乗っ取られた!と言う思い

なんとなく思うことだから根拠はないけれども、古くから利用している人ほどインターネットの変化に対する気持ちが二極化しているような気がする。単に現実を便利にするだけのツールと捉える人と、新たな世界の現出と捉える人ではその変化に対する印象も異なるだろう。
変化に対して不満がある人にとって、企業に、あるいは「メディアの」有名人に、僕らの遊び場としてのインターネットが、または僕らの議論の場としてのインターネットが乗っ取られつつある、と感じるのはそれほど不自然でもない。それは、この世界に先鞭をつけ、またそうあろうとして色々なものを作り、活動してきた実績があるから後から来た者たちによりその成果のみを、しかもより力を持った人々に使われてしまうと言うのは世の常である一種の搾取だと思うわけだ。
一方で、自由を求める人たちの中に違法なことが許容されるという単に現実が追いついていなかっただけの状態を制限されること(それは道理で言ったら当たり前のこと)について自由と言う既得権益を侵すとして反発するのはインターネットが現実から乖離した特別な存在と言う幻想を見ているからなのだろうか。そういう人は間違った情報により積みあがってきたインターネットの無法が許されると言うイメージを抱いて入って来たのではないかと思う。そういう意味では日の浅い人が多いんじゃなかろうか。
実際に裏側で何かを積み上げてきた人にとってはメディアもネットイナゴも同じように異物に感じてもおかしくない。でも別に声を荒げることはしないんだよね。全てのことに対して自由であることができるのは自分の気持ちの中だけであって、インターネットも現実だっていうことは作り上げてきた当事者がいちばん良くわかっているはずだから。