デメリットで語ると受け入れられづらい?

自分が主張したいある事項に対して、その対立事項であるもののデメリットのみを強調して語る、つまりBであってはならないからAであるべきだ、という論調は不毛な議論になり勝ちです。なにしろBでありたい人々はBのメリットを享受したいわけです。そこで生じるデメリットが目をつぶることの出来る程度であるならば、あるいはメリットの方が遥かに大きいならば、デメリットは黙殺したい。
となると、その反論の向かうところはAのデメリットの強調となります。デメリットvsデメリットではポジティブなフィードバックは起こりづらく、多くの場合、お互いの揚げ足を取って如何に相手の議論が脆弱かということについての議論になってしまいます。
特にインターネットの発展なんてのは社会全体がデメリットにある程度目をつむったことで急速に発展してきた側面があります。そこではデメリットの存在は暗黙的に切り捨てられ、あるいは隠蔽されてきていますから、その存在を語ること自体が「いーんだよインターネットなんだから」という思考停止的反応を呼び起こしてしまったりもします。
世の中の色々なものについて、常にメリットやデメリットの観点で語れるとは限りませんが、その観点が存在するときに、自分の考えを主張する際に対立する考えのデメリットを持ち出してしまった場合、その考えのメリットより自分の考えのメリットが上回ることを示すことが出来なければ広く説得力を持つことは難しいわけです。たとえその考えが論理的に正しいとしても自分で(デメリットを主張すると言うことで)利益構造を持ち込んでしまった時点でそれについて相手を説得しなければならなくなったということに気付かなければなりません。