[議論]えらく盛り上がっている話について雑感

なんか結論ありきの人とロジックありきの人が正しい検証「方法」についての議論を戦わせている印象。だんだん事実はどうでもよい話になっている気がする。しかも、7割方解釈論になっているから噛み合いどころがないよね。不完全なデータや記録から導き出される結論は不完全で、どちらがより説得力があるか、という仮説同士の戦いになったとき、どちらの仮説も絶対的な弱点と言うのは必ず存在して(だって元になるデータが不完全なんだもの)、そこを突付き合って楽しんでる感じ?
多分、タイムマシンにより現場を見ることができても解釈論に終始するような気がする。都合の悪いことを隠蔽するってのは現代の政府や企業でも行われていることで、時として政治的に強制された実行犯が全ての罪を被って自殺したり不審死を遂げたりすることは良くある。これを持って「疑惑が無かった」とすることはまあ普通無い。でも事実が闇に葬り去られるのは確かだ。
だから、双方の解釈する事実が有ったにせよ無かったにせよ、状況証拠とか証言は得られるし、その反証も得られるだろうし、最終的な結論としては客観的と言う名の元の恣意的な判断に委ねられるしかないんだろうなあ。裁判とか。
より事実に近いと推測されることが結論として採択され、なおその結論には反論の余地は残る。もちろん、認定されてしまったことを覆すのはそれ相応の手続きが要るし、その認定を受け入れない内心というのは自由であるけれども、世間一般的には通用しなくなる。それだけのことだけど。
あるレベル以上の事実の検証は、事実上無意味だし、不完全な証拠から類推した議論を意味がないと切り捨てることもまた意味が無い。イデオロギーの対決になると揚げ足取り合戦にしかならないし、それによって導き出される結論は論者の主義主張そのものでしかない。断定的に結論付けることはそのこと自体が弱点にもなりうる。仕方ないんだろうけど。
そこまでを踏まえて、様々な検証方法やエビデンスを沢山提出してくれている、という現状はとりあえず僕がこの事件のことを解釈するに当たっては大変ありがたいことであると思う。現時点での自分なりの結論はでる。事実を探ろうとしている人には乙としか言いようが無い。
あと、ロジカルな議論ってのは、ちょっとした事実を握っているかどうかとか、隠し事をしているとかで簡単に攻守逆転するアメフトみたいな競技だと思った。