時間単価が高い職業は怨嗟の的

現代社会においてはこのくらいしか差別されえる原因がないような気がする。何がしかの資格が必要かということもあわせて。それはスポーツの才能だったり弁論の才能だったり音楽の才能だったり容姿だったりするわけだけれども。あとは社会システム上の問題を(場合によっては見かけ上)回避するために本来ありもしないモラルをでっち上げることかな。
あと嫌悪と差別は違うと思う。大いに好き、そして嫌うべき。
所有欲とか独占良くとかは認められてもいいんじゃないかな。それによって繋がれるのであれば。環境とかシステムが自由でありさえすれば、個人の思い次第でいかようにもなるし、それをとやかく言う必要はない。「自分は嫌」だからどうというわけでもなく、逆に「嫌」の表明について噛み付く必要もない*1
ただ宗教を含めて社会システムってのはあまり柔軟じゃないところがあるから現状に合わせて変わっていかない。というか運用を変えるのは面倒だしパワーもコストもかかる。今は有益なモラルも無益なモラルも一斉に崩壊しているから有益な部分を守るために旧来のモラルに固執しなきゃならない状態なのかも知れないな。

*1:「嫌」で済んでいればね